慰霊碑参拝記録
 広島県福山市
慰霊 「歩兵第232連隊」 (備後護國神社)
建立場所
 広島県 福山市丸の内9-2 備後護国神社

趣旨(英霊)
 大東亜戦争における戦没者の慰霊顕彰
 部隊編成の経緯

碑文
 部隊略歴 昭和14年8月1日 福山歩兵41連隊内に於て編成 同年9月13日 軍旗拝受 
 中支に於て赫々たる武勲を樹て 終戦直前 満州に転戦 終戦を迎え シベリヤに悲憤を呑む
   戦没者慰霊記念 昭和43年8月1日
【第2の碑】
「第2の碑:碑文」石灯篭の奥

 昭和14年8月福山歩兵第41連隊と第3大隊を浜田歩兵第21連隊にて編成 同年9月13日軍旗を拝受 同年10月中支派遣武漢北方地区警備 翌15年5月宣昌作戦に参加し各地で敢闘その後荊門並に当陽の最先端にありて優勢なる敵と対峙しながら冬季山嶽戦湖南湖北襄焚等あまたの作戦に参加、勇戦奮斗赫々たる武勲をたて屈指の精鋭部隊の名声は全軍に轟くも数多の戦友を失う。
 同20年5月急遽夜行軍にて泥濘の悪路を満州に転進四平街北方にて終戦の詔勅に接し、翌16日揚木林にて慟哭のうち軍旗を奉焼 シベリヤに抑留極寒と重労働の斗いに遂に力尽き多くの戦友を失う。祖国のために散華されし幾多の戦友の御魂をこの地に迎え、永遠の眠り安かれと念じ、もって世界平和の灯たらんことを願いこの碑を建立す

 昭和59年5月13日 歩兵第232連隊戦友会
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