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広島県福山市 | |||||||||
レイテ、ミンダナオ島戦没者 慰霊碑 (備後護國神社) | |||||||||
建立場所 広島県 福山市丸の内9-2 備後護国神社 趣旨(英霊) レイテ、ミンダナオ島における戦没者の慰霊顕彰 碑文 顧みるに、わが歩兵第四十一聯隊は、過ぐる大東亜戦争に於て各地を転戦、昭和十八年十月、東部ニューギニアより平壌に復員の後、 新たに第三十師団の第一線部隊として編成され、十九年五月聯隊長炭谷鷹義大差以下三千二十六名は比島に出動ミンダナオ島の防衛に 任ず。 同年十月、米軍レイテ島に上陸するや、第一大隊及び第二大隊を基幹とする聯隊主力は急遽出撃、壮絶なる戦闘を展開するも、 敵の膨大なる物量にわが前線もついに力及ばず、二十年七月レイテ島カンギポットに於て聯隊長以下全員軍旗と共に祖国に殉じ、また、 第三大隊はミンダナオ島ワロエ付近にて優勢なる米軍と指呼の間に対峙、約半数の兵員を失いてなお激戦中八月十五日、終戦を迎え、 聯隊は明治二十九年十一月創設以来五十年に亙る波乱と激動の歴史を閉ず。 この間、瘴癘蔓延の密林に拠り、悪戦苦闘の末、祖国の勝利と平和を念じ、故郷の骨肉の上に万斛の思いを残しつつ比島の山野に 散華せる一千四百有余名の戦友を想うとき、万感胸に迫り断腸の念に耐えず。 ここに我ら生還者及び有志相集い、その昔 春秋に富む 若き身を国難に挺して南海の異境に戦い、一命を祖国の尊き礎として捧げし戦友の御霊を招来し、とこしえに鎮まりまさんことを祈念 せんがため碑を聯隊発祥の地、福山に建立す 昭和五十八年四月 歩兵第四十一聯隊比島戦友会 建立 元第3大隊長 高木治郎 謹書 |
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