慰霊碑参拝記録
 岐阜県
廣瀬武夫銅像(城山公園)
建立場所
 岐阜県市山市堀端町8 城山公園内(中佐平)

趣旨(英霊)
 海軍中佐 廣瀬武夫の慰霊顕彰

碑文(案内板)
 この銅像は明治38年中佐の同窓である高山の有志によって建立せられ、昭和18年、大東亜戦に胸像のみ押収されたのである。惟うに中佐は、明治元年5月27日大分県竹田町に生れる。
 父が高山裁判所長として赴任したため明治10年、高山煥章学校(現東小学校)に学び明治15年小学校を卒業海軍兵学校に入学、明治24年1月少尉に任官、明治27,8年の日清戦争には軍艦扶桑の航海士として参加、明治37年日露開戦で旅順港の閉鎖戦に三度の壮挙を決行 同年3月26日壮烈な戦死を遂げる。
 部下、杉野兵曹長の姿を求め「杉野はいずこ杉野・・・」と叫びつつ戦死した有様は軍人の鑑として戦前の教科書にとりあげられた。柔道は30才で4段、没後講道館より6段を贈られた。
 人間として人を愛し、部下を慈しんだ心は平和な現在もっとも大切なことであります。
 胸像のなきままこれを放置するに忍びず昭和42年特別寄進者の御協賛により中佐の遺勲と徳風を景仰し城山公園の風致を整え、以って高山観光の一助として補修復元したものです。
  高山、大野海交会
(銅像台座)
 明治38年3月 建立
 昭和42年6月胸像復元 特別寄進者 新谷恭介 殿
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