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神奈川県横浜市瀬谷区 | |||||||||
忠魂碑 (瀬谷神明社) | |||||||||
建立場所 神奈川県横浜市瀬谷区本郷1丁目 趣旨(英霊) 西南の役以降大東亜戦争における戦没者の慰霊顕彰 西南役一柱 日清役一柱 日露役八柱 以後大平洋戦争まで三二七柱 碑文「裏面」 上段部に、西南の役、日清戦役、日露戦役における戦没者の階級・歿年月日・歿地・階級・氏名 刻印 下段部に、それ以降の戦役における戦没者の階級氏名刻印 大正2年 瀬谷村建立 「国分寺礎石と忠魂碑(説明板)」 奈良時代の天平13年(741年)相模の国府が海老名にでき、国分寺が建立され、その七堂伽藍の偉容が伝えられています。この堂塔の講堂礎石を村の有志が、忠魂碑の台石にと望んで大正5年(1916年)運賃諸費合せて20円でゆずり受けました。忠魂碑には、明治10年の西南の役から太平洋戦争までの戦死の兵241柱が刻まれています。 昭和25年(1950年)、瀬谷小学校に建てられいましたが、その後事情により徳善寺に移り、さらに平成9年(1977年)4月にこの地に移されました。 平成10年3月 瀬谷区役所 |
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【碑群】 |
左から * 忠魂碑(小) * 忠魂碑(大) * 鎮魂 |