神奈川県(その3)慰霊碑一覧・参拝記録
 神奈川県大和市
 台湾亭 (ふれあいの森)
建立場所
 神奈川県大和市上草柳 ふれあいの森西側(上草柳4号橋近隣)

趣旨
 海軍機「雷電」製造のため来日した台湾少年の50年後の友好親善と世界平和の祈念 大和市へ寄贈

碑文(説明板)
 先の大戦中、将来の航空技師を夢見て、台湾少年工8400名が口座海軍工廠で戦闘機「雷電」の製作に従事しました。工廠は、現在の座間市栗原にあり、寄宿舎は、大和市上草柳にありました。
 敗戦に依り夢破れて帰国した少年工は、その高い技術と精神力により台湾工業化の中核として活躍、1993年6月9日、彼らが「第2の故郷」と呼ぶ大和市を50年ぶりに訪れました。
 この臺灣亭は、その時、台湾少年工の同窓組織である台湾口座会から、日台の友好親善と世界平和祈念し、大和市に寄贈されたものです。
  大和市 公園管理者
 
 
【側面】
 

 亭の前面 上部に緑の「台湾(国の形)」 下部が「碑」

 「台湾亭志」碑
 第二次世界戦中 一九四三年から翌年にかけて戦力補充のため青少年約八千四百余名が この大和市に新設された高座海軍工蔽に集結し 一部は実習を経て各軍需工場に配属され 終戦まで航空機生産の一端を担い続けた。
 その間米軍による本土空襲により 多数の犠牲者も出 戦後そのまま在留したもの以外大部分は台湾に帰国したが 混乱の戦後を乗り越え落ち着きを取り戻した時 若き日の夢を托した大和市が第二の故郷として大きく胸に育まれた。
 一九八七年台湾高座会が発足 一九九三年日本高座会による五十周年記念大会に一千三百余名の会員が参加し 半世紀ぶりに旧地で再会の喜びに浸りあった。
 ここに両地の親善交流を 記念するとともに 世界平和への祈願をこめて 台湾亭を大和市に寄贈し変わらざる友好のシンボルとする
   台湾高座会
   一九九七年九月六日

* 鉄筋コンクリート製の6角形、高さは約10m。
高座海軍工廠 (芹沢地下壕跡)
   
 第2次世界大戦末期の昭和19年、現在の東原と大和市・海老名市の一部にまたがる地域に、本土防衛を遂行するための戦闘機「雷電」を製造する目的で口座海軍工廠が建設されました。
 地上施設と並行して、日々激しさを増してゆく空襲を避け、工員と操業の安全を図るために、下栗原の目久尻川沿いや支流にあたる芹沢川の谷あいの垳面に無数の地下壕をが作られました。地下工場が3カ所と知か物資倉庫が10数か所のほか、地下変電所や救護用ベッドを備えた郷もあったと伝えられています。
 栗原の中丸地区(現在の芹沢公園)には、地下工場として、この地下壕が作られました。地下壕の中には、東西と南北にあみだくじのように地下壕が張り巡らされ、その総延長は1500m程となります。これは、赤土の関東ローム層を人力で掘り抜いたものです。

 現在では、殆どの地下壕は埋められて。当時の姿を知ることはできなくなりました。そこで、埋められていないこの壕を残して、戦争の招いた悲惨さを忘れずに久遠の平和を祈念したいと思います。

*座間市 芹沢公園

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