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神奈川県横須賀市 | |||||||||
軍艦比叡戦没者供養塔 (光心寺) | |||||||||
建立場所 神奈川県横須賀市衣笠栄町1-51 光心寺 趣旨(英霊) 軍艦比叡戦没者188柱の慰霊 (軍艦比叡鎮魂碑に更に永代供養の為建立) 碑文 小型五輪塔形構造 昭和61年4月19日 軍艦比叡会建立 |
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碑文(側面) 軍艦比叡は昭和十六年十二月(一九四一年)今次大東亜戦争開戦と同時に第一航空艦隊支援艦隊としてハワイ 印度洋 南太平洋及びミッドウエー海戦等に参加し輝かしい武勲を樹てた。 昭和十七年後半戦局は極度の急を告げ南太平洋海戦特に第三次ソロモン海戦に参加「ガダルカナル島」の敵飛行場の撃破粉砕の任を帯び特別挺身攻撃隊の旗艦として同泊地に突入したが期せずして十一月十二日敵重巡部隊と遭遇暗夜の混戦となり比叡の主砲及び各砲は一斉に敵艦船に対し火蓋を切り精錬された砲員の的確で痛烈な斉射は敵重巡部隊を撃滅した。 比叡も亦敵の好目標となり昭和十七年十一月十二日夜から十三日に亘る敵の激しい砲雷爆撃により露天甲板以上の戦闘員多数は肉を裂かれ骨を砕かれこの鮮血に埋もれた伏屍が累々と激戦の惨状を呈した。 この海戦で実に一八八柱に及ぶ犠牲者は比叡と共に同十三日夕刻南海の果てにその姿を没した。 戦死された尊い犠牲者の魂は戦後日本の復興と悠久の平和世界に誇る経済の発展に繋がる原動力となっていることは正に戦没者の遺産で日本人の心の奥に今も脈々と生き続けており軍艦比叡会はこの栄光の軍艦比叡と英霊の遺徳を後世に残すべく曩に軍艦比叡鎮魂碑を建立したが更に茲に有志相集い永代の供養を捧げる赤心を結集して軍艦比叡戦没者供養塔を建立して英霊の安らぎを念願するものである。 |