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神奈川県横須賀市 | |||||||||
浦賀港引揚記念の碑 (陸軍桟橋) | |||||||||
建立場所 神奈川県横須賀市西浦賀1 陸軍桟橋(浦賀港) 趣旨 浦賀港は、第二次世界大戦後、外地からの引揚者を受け入れた引揚指定港となり、56万人もの引揚者を受け入れた。 横須賀市は平成18年10月に市制施行100周年のプレ事業として、「浦賀港引揚記念の碑」を引揚船が接岸した通称「陸軍桟橋」に建立した。 碑文 (表面) 昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争は終結。ポツダム宣言により海外の軍人、軍属及び一般邦人は日本に返還された。ここ浦賀港も引揚指定港として、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人を受け入れた。 引揚者は敗戦の失意のもと疲労困憊の極限にあり、栄養失調や疫病で倒れる者が続出した。ことに翌21年、華南方面からの引揚船内でコレラが発生。以後、続々と感染者を乗せた船が入港。このため、旧海軍対潜学校(久里浜長瀬)に設けられた浦賀検疫所に直接上陸、有史以来かってない大防疫が実施された。この間、祖国を目前にして多くの人々が船内や病院で亡くなる悲劇があった。昭和22年5月浦賀引揚援護局の閉鎖で、この地の引揚業務も幕を閉じる。 私たちは再び繰り返してはならない戦争により悲惨な引揚の体験を後世に伝え、犠牲となられた方々の鎮魂と恒久の平和を祈念し、市制百周年にあたりここに記念碑を建立する。 横須賀市 (裏面の設立趣旨) ここ浦賀港は、先の大戦終結後、引揚指定港の一つとして極めて重要な責務を担いました。引揚とコレラ等の防疫に携わったすべての人々をねぎらい謝意を表するとともに、この地で倒れた幾多の御霊に弔意を表します。 この碑は、引揚者や地元の方々の熱意により建立が実現したものであり、市制百周年を迎えるにあたり、当地の歴史を再認識し、恒久平和の願いを後世に伝えんとするものです。 平成18年(2006年)10月 横須賀市長 蒲谷亮一 *陸軍桟橋案内板 此の海岸線は浦賀の海の玄関口であり、歴史を語るうえで、重要なスポットである。「L字型の桟橋は、通称・陸軍桟橋と呼ばれ、昭和10年代にできたものである。 太平洋戦争終結後、この桟橋に南方からの引揚者が数十万人上陸し、帰国の第一歩を印した想い出深い桟橋である。 |
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【陸軍桟橋】 |