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新潟県五泉市 | |||||||||
村松兵営跡碑 (村松体育館) | |||||||||
建立場所 新潟県市五泉市村松 村松体育館前 趣旨(英霊) 日露戦役~大東亜戦争に於ける区域出身戦没者の慰霊顕彰 碑文 このあたりは明治三十年から昭和二十年に至る約五十年の間村松兵営のあったところである 祖国の護りと世界の平和のため郷土の若人はこの兵営において苦楽を共にし死生を同じうする戦友として昼夜を別たず教練演習や戦技訓練に精進した その雄叫びは愛宕の山にこだまし喇叭の響きは菅名 白山の峯もをゆるがすばかりであった かく鍛え抜いたつわものは伝統の越後魂を以って出でては日露戦争・シベリア出兵・満州事変・支那事変・大東亜戦争と到るところ堅忍克艱赫赫たる武勲を打樹て入りては郷土の健全な発展に貢献した併し栄光の影には幾多の貴い犠牲があった この犠牲こそが今日祖国の発展を齎らした貴い礎であることを忘れてはならない 星移り時は流れて幾春秋今や由緒深き兵営も全くその姿を変え空しき過去に葬り去られようとしている この時にあたり関係者一同 計らずも村松町多数有志各位の絶大な協力をいただいた事実に衷心感謝を捧げつつ相携えて意義ある史跡としてこの兵営の足跡を記し英霊の遺勲と先人戦友の業績を永く後世に伝えるよすがともせんためこの碑を建てるものである |
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村松兵営の足跡 明治三十年八月 歩兵第三十聯隊駐屯同聯隊は明治二十九年一月新発田聯隊にて編成第二師団に編入 仝 三十一年三月 歩兵第三十聯隊に軍旗親授 仝 四十一年十月 歩兵第三十聯隊第十三師団に編入 大正十四年五月 軍備縮少により歩兵第三十聯隊第二師団に編入 高田に移駐 歩兵第十六聯隊第三大隊新発田より分屯 昭和十二年四月 歩兵第十六聯隊第三大隊新発田に復帰 仝 十三年一月 新発田陸軍病院臨時村松分院開設、支那事変の傷病兵収容 仝 十六年四月 新発田陸軍病院臨時村松分院閉鎖 仝 十六年七月 歩兵第百五十八聯隊駐屯高田独立歩兵団に編入 仝 十六年九月 歩兵第百五十八聯隊に軍旗親授 仝 十八年六月 歩兵第百五十八聯隊新発田に移駐西守第二師団に編入 仝 十八年九月 陸軍少年通信兵学校開校(村山陸軍少年通信兵学校より分校) (18年12月第11期生800名 19年6月第12期生600名 20年4月第13期生400名卒業) 仝 二十年八月 大東亜戦争終結により兵営閉鎖 昭和五十四年四月二十四日 村松兵営跡記念碑建設会 |