慰霊碑参拝記録
 新潟県長岡市
平和像 (平和の森公園)
建立場所
 新潟県長岡市本町3 平和の森公園

趣旨(英霊)
 長岡空襲の犠牲者中、280余名学童たちの霊を慰める

碑文
 1945年8月1日 ここ長岡に投下された数千の爆弾は いたいけない180余のいのちさえうばい去った その霊を慰める道は 一すじに平和をまもり戦争をなくすことだ
 1951年11月三日
  新潟県教職員組合

(経緯)
 慰霊と平和への限りない願いを込めて「平和像」と名づけられ、昭和26年11月に長岡駅前広場に設置された。
 その後、この平和像は悠久山公園、明治公園と移転したが、平成8年、市民の平和への願いのシンボルとして新しく完成した平和の森公園に安住の地を得た。
 平和像の中には、銅版に刻まれた「昭和二十年八月一日長岡市戦災学徒名簿」が納められている。
【被爆アオギリ二世】
 
 第二次世界大戦で広島の爆心地から約1.5キロメートルで被爆したアオギリは、爆心地側の幹半分が焼けてえぐられました。
 枯死が懸念されながらも、平和記念公園内で、焼けた傷跡を包むようにして成長を続けています。
 「被爆アオギリ二世」は、そのアオギリの実生から育ったもので、平和の森公園の整備趣旨に賛同された広島市から譲り受けたものです。

*平和像の直ぐ横に育っています。
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