慰霊碑参拝記録
 新潟県上越市
歩兵第58・30・130聯隊兵営跡記念碑 (専有地)
建立場所
 新潟県市上越市南新町(高田) 市営住宅脇専有地

趣旨(英霊)
 郷土出身兵士の遺勲の顕彰 戦没者の慰霊顕彰

碑文
 このあたりは かつて歩兵聯隊の兵営として 長年郷土健児が練武にいそしみ 苦楽をともにしたところであります
 歩兵は白兵突撃を本領とする兵科でした ゆえに訓練は猛烈を極め その雄叫びは高田の森に響いたものです また とくにスキー部隊として有名でした
 ここ高田の部隊は シベリア出兵 満州事変 支那事変 ノモンハン事件 大東亜戦争に従事して勇名をはせ とくに中支那 ビルマ戦線では 郷土部隊の名を不朽なものにしました
 しかし赫々たる武勲の陰には 幾千幾万の若人が散華しています これら有志の犠牲の上に 今日の平和が築かれていることを忘れてはなりません
 いわれ深い兵営も今はその姿を大きく変えようとしています この時にあたり兵営の歴史を伝え亡き戦友を偲ぶため 我ら相計り記念碑を建立しました
  昭和44年8月3日
     生存戦友建之
【部隊歴:台座裏面】
明治41年11月 この地に兵営が新設され歩兵第58聯隊が千葉県習志野から移駐
大正14年5月  軍備縮小のため 歩兵第58聯隊は廃止され 歩兵第30聯隊が村松町から移駐
昭和12年4月  第2師団の満州国派遣により歩兵第30聯隊は満州に進駐
昭和12年9月  第13師団の動員下令により歩兵第58聯隊はこの地に再編成され中支那戦線に出征
昭和15年8月  編成改正により歩兵第30聯隊は第28師団所属となり満州に常駐
昭和17年12月 編成改正により歩兵第58聯隊は第31師団所属となりビルマ戦線に転戦
昭和20年8月  大東亜戦争終結に伴い兵営廃止となる
【副碑:歩兵第130聯隊の歩み】
 昭和15年8月編成改正により第62独立歩兵団最初の常設聯隊として誕生 12月4日軍旗親授 なお初代聯隊長は「悠久の大義に生く」の電文を最後に守備隊員2千余名と共にアッツ島に玉砕された軍神山崎保代中将である 昭和18年6月第42師団動員下令となり基幹部隊として中千島ウルップ等に展開 北方の守りにつく 此の間輸送船の撃沈を始として多数の戦友を失う 昭和20年8月16日北海道宗谷の谷合いに於いて軍旗奉焼 聯隊は茲に終焉を告ぐ
 なお第3大隊のシベリア抑留の苦難を強いられたるは 痛恨極みである
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