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世界無名戦士の墓(埼玉県)
建立場所
  埼玉県入間郡越生町大字越生
建立年月日
 昭和30年12月8日
建立者名
 越生町  長谷部秀邦氏が発起人
趣旨(慰霊の英霊)
(現案内板)
 大観山山頂に建てられた戦歿者慰霊塔である。第2次世界大戦中、世界各地で散った将兵を敵味方の別なく供養することを目的として、昭和24年、埼玉県議会副議長を勤めていた越生町の医師、長谷部秀邦氏が発起人になって建設運動が進められた。多くの人びとが浄財を寄せ、奉仕作業に協力し、昭和30年12月8日、海外から帰国した200余柱の遺骨が納めれらて落慶式が行われた。
 毎年5月の第2土曜日に行われる「世界無名戦士並びに越生町戦歿者追悼式」には稚児たちが戦歿者に献花し、大勢の人々が参列する。夜には鎮魂の花火大会が催され、露店が立ち並び大変なにぎわいをみせる。
 外秩父山地を背に関東平野を望む大観山は、その名にふさわしい眺望地で、晴れた日には正面に東京スカイツリーが望め、都心の高層ビル群、筑波山までも見渡しうことができる。
 また、この付近から西山高取、大高取山にかけて斜面には、イラジロ科に属する暖地性のシダ植物コシダの群生地がある。コシダは西日本には広く分布しているが、埼玉県内での自生は珍しく、「大高取山のコシダ群落」として埼玉県の天然記念物に指定されている。
   平成25年3月
     小越町教育委員会

(旧案内板)
 昭和29年に建てられた慰霊塔であって、太平洋戦争で世界各地に散った戦歿者の遺骨が土に埋もれているのを悲しみ、彼我の別なく戦歿者を供養するために建立されたもので、建立に当っては越生市を中心に多くの人々の浄財が寄せられた。
 塔の正面は東京を向いて建てられ、晴天には都心の高層ビルや関東平野などを一望できる展望地となっているため、大観山とも呼ばれている。毎年5月10日に、慰霊祭が宗派を超えて行われ、大勢の人々が参拝に訪れている。
 また、この付近から西山国有林、大高取山にかけて「コシダの群落地」があり、これは埼玉県の天然記念物に指定されている。
   昭和53年3月
      埼玉県

(越生町ホームページ)
 昭和30年、町を見下ろす大観山に建立された白亜の廟(びょう)。世界60余ヶ国。251万柱の英霊が安置されています。
 大祭には、慰霊式典や稚児行列のほか、植木市や露天でにぎわいます。夜には、花火大会がおこなわれ、春の夜空に大輪の花がさきます。
祭祀
  毎年5月の第2土曜日  世界無名戦士並びに越生町戦歿者追悼式
【慰霊塔(世界無名戦士の墓)】
【塔内:納骨室、慰霊碑】 【慰霊塔:正面】 【慰霊塔:側面】
【扁額】 【参道:真下から】 【越生駅前、絹会館から】
【屋上】 【屋上からの展望】
【慰霊碑】
【馬魂碑】  遠く戦国時代はもとより明治大正を通じ大東亜戦争まで幾多の戦史の蔭に言ふに言葉を持たず訴ふるにその術もなく 戦野に屍を曝してそのままの 数十万の軍馬 或は時代時代の大きな輸送力として 或は農耕等今日の経済復興に又競走馬として国民に潤の道を与へ蔭の力となつて命数を終つた駿馬に対し この偉大なる社會に貢献した歴史を今ここで時代に傳へ更にその靈を慰むるべく建碑を計画した 幸ひに中央競馬社会福祉財団より金四百万円の巨額の賛同を得て ここに馬魂碑の建立を得た 私達は詣でる人人に彼等の 在りし日の姿を偲び 靈に感謝の心を手向けていただくことを祈る
  昭和47年9月建立
    世界無名戦士の墓建設会   
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【慰霊碑】
*越生町出身 大東亜戦戦歿者の慰霊
 裏面にご英霊の出身区、ご芳名 刻印

 昭和41年5月 建立
  越生町慰霊碑建設会
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【徳を讃う碑:長谷部秀邦翁】 【案内図】
 本「世界無名戦士の墓」建立の発起人を讃える碑
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