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埼玉県深谷市 | |||||||||
英霊塔 (瀧宮神社) | |||||||||
建立場所 埼玉県深谷市西島5-6-1 瀧宮神社(瀧の宮公園の奥) 趣旨(英霊) 当初391柱の慰霊顕彰 *追合祀の記 合併により798柱を追合祀 (細部略) 昭和32年10月 安部彦平 *合祀の記 昭和48年4月1日豊里村は深谷市に合併し新しい深谷市が実現した 豊里地区371柱を追合祀 昭和48年10月 深谷市長 木村一郎 |
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【建設の趣旨】 日清日露の戦役より 満州事変を経て 大東亜戦争終結に至る50有余年の間 幾多の戦役事変において祖国の礎に殉じたる深谷町出身の軍人軍属の英霊391柱をここにまつる 戦火耐えてより十星霜 国民待望の講和条約すでに締結され 新生日本の基礎着々として定まり 郷土においても大深谷市実現の倥そう進みつつある時 英霊塔建設の声期せずしておこる けだし身命を賭して祖国の難におもむきたる英霊の至誠を顕彰し その心に通いて新しき理想に燃ゆる平和日本建設を誓い 以てその霊を慰めんとする国民感情の自然の流露に外ならん すなわち建設費をもとめたるに町議会は全員一致を以て百万円の支出を議決し 他は深谷地区市民の拠出によりたちまちにして二百六十余万円ンお巨額に達す 熱誠まことに溢るるものあり よってその所をこの地に選ぶ この地高台にして景勝の地なるを以て おそらくは英霊ことごとく曽遊の地ならん かつは市民つねに仰ぐによく 英霊の眠るにふさわしかるべしとてなり ねがわくは英霊とこしえにしずまりて われらが新日本を建設するの光明となり給え ここに経緯を述べ 詣ずる者のために記す 昭和三十年十一月五日 深谷地区英霊塔建設會 會長 深谷市長 安部彦平 |
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【左側:戦没者の御芳名碑】 隣接市町村と合併後、その地区の戦没者を合祀:追合祀の記有 |
【右側:建立の趣旨・戦没者の御芳名碑】 各地区毎、日清・日露・大東亜戦争毎に刻印 |
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【やすくに橋:奥に英霊塔】 |
【さくらの碑】 |