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埼玉県さいたま市岩槻区 | |||||||||
忠魂碑 (慈恩寺) | |||||||||
建立場所 埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139 慈恩寺 趣旨(英霊) 支那事変・大東亜戦争戦没者の慰霊顕彰 碑文 「裏面」 戦没者階級氏名刻印 開国以来の国難たる支那事変突如昭和12年7月7日勃発して我が軍の威力は支那全土を席巻するを以て戦線を展開赫々たる戦果を収めつつあり 隅々世界強国の米英ソの参戦により昭和16年12月8日 大東亜戦争となり其の戦況は益々熾烈となり大命により応召する者甚だ多く勇戦 征途に上り極或は極寒の曠野に或は灼熱南海に悪戦敢闘を続け偉大なる戦果を挙げた 敵は未曽有の化学兵器原子爆弾の出現により我が軍の勇戦奮闘もその甲斐なく昭和20年8月15日終戦の大詔発せられ連合軍の占領政策の治下となり一億国民連合国の政令により行動するの止むなきに至る 故に戦没軍人に対する慰霊の義も思うに任せず国民等は痛恨惜く能はさる所にあった 然るに昭和27年4月講和条約締結成り独立し連合国治下の?を脱し旧軍人に対する慰霊を緩和せられたるを以て村当局並に戦友のために忠魂碑建立を企画し村民一同の協賛を得て招魂碑を建てその功績を永遠に伝え殉國之英霊を祀る。(一部不明) 昭和29年4月15日 建立 * 靖国神社宮司 筑波 藤麿 書 |
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【碑群】 |
* 左:忠魂碑(大東亜戦争) * 右:忠魂碑(明治三七八戦役) |