|
|||||||||
埼玉県さいたま市岩槻区 | |||||||||
慰霊碑 (西福寺) | |||||||||
建立場所 埼玉県さいたま市岩槻区南平野1-33 西福寺(稲荷神社と同一地) 趣旨(英霊) 南平野出征軍人 戦没者16名の慰霊顕彰 碑文 昭和12年7月7日 一発の銃声と共に盧溝橋事件が勃発し、我が陸海空軍の勇戦により支那全土を席巻し、赫々たる戦果を納めた。 昭和16年12月8日 米英ソの参戦により事変は大東亜戦争となり、戦線は灼熱の西南太平洋諸島から極寒の北方曠野にと展開され真珠湾にシンガポールにマニラにと勝利の旗を進めつつあったが、たまたま独逸、伊太利の戦線の脱落により戦況は一挙に悪化し、加うるに原子爆弾の出現により、ポツダム宣言を受諾するの止むなきにいたり。 昭和20年8月15日遂に大詔が発せられ、第2次大戦はここに終わりを告げ、連合国の統治下に置かれた。以来三十数星霜、戦没勇士の慰霊の儀を思うに任せず、常に念頭から離れざる処であった。この度統治戦友相図り、地域住民の協賛を得て、慰霊碑の建設を企画し、此の碑を建て戦没勇士の英霊を慰むると共に併せて従軍諸士の功績を永遠に伝える。 昭和五十四年十二月一日 元岩槻市市議会議員 岩槻市南平野自治会長 石川 一 書 下段:戦没者の階級氏名刻印 裏面:従軍者氏名刻印 |