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埼玉県所沢市 | |||||||||
航空犠牲者木村・徳田両中尉像 (所沢航空記念公園) | |||||||||
建立場所 埼玉県所沢市並木1-13 所沢航空記念公園 趣旨(英霊) 我が国最初の航空犠牲者 木村・徳田両中尉像 碑文 (塔下部:一部判読困難)) 大正2年2月28日 陸軍の航空術を両院義院の観覧に供するに當り 陸軍砲兵中尉木村鈴四郎はブレりオ式飛行機を操縦して所沢より青山練兵場に至り 次いで陸軍歩兵中尉徳田金一を載せて帰航せしに偶突風に機翼を破損せられ木村中尉は其の卓絶せる伎倆を施すに由無く徳田中尉と共に此の地に墜落して壮烈なる最期を遂げたり 惟ふに飛行機の軍国の用をなすこと多大なる は言を俟たす 其の研鑽の初に於て一身を犠牲に供したる両中尉の事績は之を千載に傳えて朽てさるべし 乃ち有志相謀り記念塔を建て以て義人に貽すと云爾 大正3年3月 建設発起者 やまと新聞社 (説明板) 我が国最初の航空犠牲者 木村・徳田両中尉像 大正2年(1913年)3月28日、所沢飛行場を離陸した木村鈴四郎砲兵中尉と徳田金一歩兵注意の搭乗する「ブレりオ機」は青山練兵場に着陸し、貴・衆両議院の観覧及び説明の後、午前11時36分帰航の途につきました。 ところが、所沢飛行場北東約1500メートルの大字下新井字柿の木台の上空に差し掛かったとき、突風に左の翼を破壊され両中尉は飛行機と共に墜落して殉職し、我が国最初の航空犠牲者となり、国民のすべてが深くその死を悲しみました。 当時の「やまと新聞」は義捐金を募り、墜落地点に記念塔を建て、両中尉の英姿を銅像として残しました。 墜落地が交通不便のため訪れる人も少なかったので、当時所沢町のほか六カ村の在郷軍人会が発起人となり、昭和4年3月西武線所沢駅に移設しました。 その後西部園から航空自衛隊入間基地へ移設されましたが、関係者の協力を得て、昭和55年3月航空発祥の地である現在地に移設したものです。 所沢市 * 事故現場は、旧松井村下新井柿木台(現在の所沢市下新井) 、「木村・徳田両中尉殉職記念碑」が建立されています。 |
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【両中尉】 |