慰霊碑参拝記録
 東京都八王子市高尾山
支那駐屯歩兵第2聯隊慰霊顕彰碑(高尾山)
建立場所
 八王子市高尾町高尾山 (薬王院仏舎利塔:有喜苑内)

趣旨(慰霊の英霊)
 碑文参照

碑文
 (碑の周囲、七面に亘り、部隊の戦歴等が記述されているが、一部省略します。)
 高尾山薬王院は、(略)今は亡き戦友の鎮魂の霊場として最高の聖域である。(略)
 支那駐屯軍創設の歴史は、明治33年北清事変発生するや、陸軍少将福島安正を司令官とする臨時派遣部隊は、連合国軍に率先して天津城南門附近に於て勇戦、激戦後天津城を占領、国際連合軍中、随一の偉功を挙げたのである。
 (略)
九 顧みるに支那駐屯軍の衣鉢を継いだこの聯隊が軍旗を奉し中国大陸の各地に於て不朽の功績を残した陰には、軍旗の勝利を念じつつ散華された将兵は、実に
3千余柱に達した。これ等の将兵は、勝利の戦闘を交えながら日本の敗戦を知らずして大陸の山野に眠られたのである。
 然し乍ら、この戦争が契機となり、解放された世界の植民地民族は、至る所に独立の歓喜に溢れておる。これらの現象は、日本の犠牲なくしては実現し得なかったこ
とで、英霊も我等老兵と共に瞑目し得るとことである。
 特に日中友好親善の機運増大は天津市を郷土としたこの聯隊の老兵にとって最大の歓びである。高尾山仏舎利塔に隣接する聖地に碑を刻み、碑下内部に舎利を安置、その偉業を顕彰し、忠魂を慰め、更にこれを百世に伝え、我等老兵も又、永遠の平和を希い、七世報国、鎮護国家の礎とならんことを期しここに建立する。
 謹んで諸霊の冥福を祈る
   昭和五十五年十月四日
    支那駐屯歩兵第二聯隊戦友一同
「副碑」
 この碑は昭和52年以来3年有余に亘り全国の海光寺会会員有志竝に縁故関係者千五百有余名の報賛を得て総額千六百八十余万円の浄財の寄進により大悲願を達成し建立されたものである。ここに奉賛者各位に対し衷心より感謝いたします。
   昭和五十五年十月四日
    元支那駐屯歩兵第二聯隊 海光寺会 慰霊顕彰碑建立委員会

「副碑:慰霊顕彰碑建立祈願並永世護持悲願の詞」
 (趣旨)顕彰碑の建立、顕彰碑の永世護持のため浄財の寄進、軍旗の復元、薬王院の講社海光寺講設立等の報告・謝意、「鎮護国家と世界平和」祈念。
   平成2年10月20日
    支那歩兵二第10回慰霊法要全国大会  慰霊顕彰会海光寺講

その他
【碑】 【碑全景】 【七生報国】

盧溝橋事件勃発 昭和12.7.14聯隊は通州に向う
【右:日露戦役従軍紀念碑 左:慰霊碑】 【戦歿者名】 【従軍者名】
硫黄島戦没者慰霊碑(高尾山)
建立場所
 八王子市高尾町高尾山 (薬王院仏舎利塔:有喜苑内)

趣旨(慰霊の英霊)
 碑文参照

碑文
 硫黄島は此処から南六百里の洋上に浮かぶ孤島であるが 大東亜戦争の末期 太平洋に於ける日米攻防戦の天王山であった
 されば昭和二十年二月十九日から展開された戦闘は凄惨熾烈を極め 日本軍は約二万名が玉砕したのに対し 米軍も亦戦死約七千名 負傷二万千名を算した
 米軍の上陸した同島南海岸正面の防衛戦闘に 独立歩兵第309大隊の機関銃中隊長として奮戦した阿部武雄氏は死闘の末遂に捕らえられて 米軍野戦病院に収容され奇しくも生還した
 阿部氏は当協会常任理事 組織部長として 協会の事業目的達成の為献身奔走する一方 戦没者の供養と平和を祈念する為 この慰霊碑及び平和観音を建立の上 碑下に戦没者舎利を納める事を発願し今茲に結願す 功徳実に大である
 仏舎利塔に隣接した聖域を 薬王院当局の好意に依り卜する事が出来たが 硫黄島への渡島が困難である事情に鑑み 此処に詣でて 遥かに南溟の空を仰げば 必ずや平和観音の妙智が作用して現地供養を彷彿たらしめる効を顕わすものと信ずる次第である
 讃に曰く
   丘上新碑影 尊像馥郁香 佇立望南溟 滂沱憶硫黄
  昭和四十六年四月十八日
    硫黄島協会 会長 和智恒蔵 謹撰
           副会長 森本一善 謹書

 (副碑碑文)
  平和への もといとなりし み霊よび 高尾の森に 小鳥とあそべと
   平成9年5月24日
    硫黄島の会
   厚生大臣 小泉純一郎 謹書
その他
*慰霊碑の型は、硫黄島を模している
【慰霊碑:左に平和観音】 【慰霊碑全景】 【副碑:永代供養】
観音像(高尾山)
建立場所
  八王子市高尾町高尾山 (薬王院仏舎利塔:有喜苑内)

趣旨(慰霊の英霊)
 碑文参照

碑文
 我等は昭和20年、18歳前後で、祖国の難を救おうと、全国から振武台、同徳台、若松台に駆け参じたが、終戦により復員、その志と情熱を祖国再建のために傾注した。
 今日ある我等と比べ、若くして人生の大半を失われた方々の無念を思うとき、今は只御霊のご遺徳を偲び、追悼供養することが残った者の務めと考え、全国61期生に呼びかけ、高尾山薬王院のご協力を得て、我等の手でこの観音像を建立した。
 謹んで本増に合掌し、各々心に刻まれた御霊に供養の念を捧げ、併せて世界の平和を祈願するものである。
  平成15年4月
   陸軍士官学校第六十一期生会
(副碑)
  「みたまよ やすらかに ねむれ」
  平成15年4月9日開眼
     陸軍士官学校第六十一期生会、陸軍軍官学校第七期生会、陸軍経理学校第十一期生会

その他
【観音像】 【観音像全景】 【副碑】
シベリアに眠る抑留者供養碑:望郷(高尾山)
建立場所
 八王子市高尾町高尾山 (薬王院仏舎利塔:有喜苑内)

趣旨(慰霊の英霊)
 発起人は、亡くなった多くの戦友の魂を弔うために、道志村で見つけた自然石を長らく保管し、今回の建立にこぎつけたそうです。

碑文
 昭和20年8月15日―昭和24年8月15日 タイセット地区第17収容所 陸軍技術軍曹
  八王子市消防団 元副団長 勲8等瑞宝章 佐藤 甲子雄 大正13年3月20日生 86才
   平成22年10月28日 建立
(協力者)
 昭和20年8月15日―昭和22年5月22日 モンゴル地区収容所 陸軍上等兵
  八王子市長房町  高橋 嘉一 大正12年8月24日生 87才

 大本山高尾薬王院貫首隆玄謹書
その他
【碑】 【慰霊碑全景】 【嗚呼シベリア鎮魂歌】
満蒙大陸林業人供養塔(高尾山)
建立場所
 八王子市高尾町高尾山 (薬王院仏舎利塔:有喜苑内)

趣旨(慰霊の英霊)
 碑文参照

碑文
 近代日本の国策に則り 曽てアジア大陸の一角で満蒙林野の正業経営に挺身すべく 官民一体の民族の大移動が行われた しかし残念ながら敗戦により雄図空しく祖国に帰還せざるを得なくなった
 その間国境を越えた物故の五族協和同人は多数に上っている
 この「満蒙大陸林業人供養塔」は これら物故者の英霊に供養を捧げ その冥福を祈るために 満蒙に住んだ官民林業関係者が悉く参画し 全魂こめた体制で建立したものである
 これが建立にあたっては(略) 以上銘記し 深甚の謝意を表する
   昭和四十九年六月  外林会 満蒙部会 建立

その他
【慰霊碑】 【慰霊碑全景】 【副碑:建立の記】
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