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東京都墨田区 | |||||||||
観音聖像 (弥勒寺) | |||||||||
建立場所 東京都墨田区立川1-4-13 弥勒寺 趣旨(英霊) 東京空襲の戦災者3500柱の慰霊顕彰 碑文 「案内板」 父を求め母を尋ね子を探し妻を呼ぶ声よりも凄さまじい火炎と爆撃の中で、1945年(昭和20年)3月10日の朝を迎へました。町は焦土と化し人は黒焦げの死体となって数限りなく広がって居りました。 戦争は怖ろしい大地震火災よりも怖ろしく、被害はその何層倍にも及びました。1時間に十萬の屍体と言ふ、人間の起こした争いの惨酷さ、而してこれを超克して愛と安らぎを求めるには、大慈悲心にすがり佛の叡智を借りること以外にありません。 この聖像のもとに三千五百体の遺骨を収納し、永代にお慰めすることは生き永らへた人間の務めでもあり仕事でもありましょう。 多くの記録、悲惨なエピソードは他の戦災記にゆずり、この下町の一角に所在する聖像を仰ぐとき、之は戦災の最も端的な記念碑でもあり、亦人間の心の基準を示すきびしい御姿でもありましょう。 茲に戦災殉難の御魂をお慰め申上げ、併せて関東大震災に依り倒れた地元の人々の過去霊に対し、恭々しく合掌し冥福を祈るものであります。 昭和52年3月10日 丗三回忌 弥勒寺五十六世 岩堀至道 敬白 弥勒寺奉賛会々長 田中牛造 「副碑」 昭和廿年三月九日夜間大空襲により本所深川は全滅廃墟となり死傷する者亦多く、劫火の中に血縁を求めて呼べども自らも倒れ死屍累々と山をなす。 終戦と共に平和への悲願をこめて茲に観音像をつくり、遺骨3千余体を安置し歳々年々供養の赤心を捧ぐ。願わくば後人の争うことなく福祉の途を開かれんことを 昭和42年3月10日 弥勒寺住職 至道識 |