慰霊碑参拝記録
 山形県米沢市
招魂碑(上杉神社)
建立場所
 米沢市丸の内1-4-13 上杉神社境内
趣旨(慰霊の英霊)
 碑文参照
碑文
 此の招魂碑は、慶応4年(1866)に始まった戊辰戦争で、主に新潟方面で西軍と激戦の末に戦死した米沢藩士280余名と、明治10年(1877)におこった西南戦争の戦死者52名を慰霊するために、明治11年4月に建てられました。その後、日清・日露戦争で戦死した将兵の霊も合祀されています。この場所は、米沢城本丸の東南隅にあたり、藩祖上杉謙信公の遺骸を安置した御堂があったところです。毎年2月に開催される雪灯篭祭は、この地で執り行われます。
 碑は、凝灰岩で高さ約3.4メートル、総高約5.8メートル。碑銘は、戊辰戦争に従軍して参謀を務めた齊藤篤信(後の山形県師範学校初代校長)が、稲穂の芯を束ねた特製の大筆で書いたものです。
その他
 大東戦争の戦死者は合祀していない?
【慰霊碑】
【碑】 【碑全景】 【背面:戦死者名刻印】
【正面:招魂碑、右:御堂跡】 【上杉謙信祠堂(御堂)跡】 【建国記念之日 碑】
傷痍之碑《上杉神社(春日神社)》
建立場所
 米沢市丸の内1-4-13 上杉神社境内社 春日神社敷地内
趣旨(慰霊の英霊)
  傷痍軍人の想い
碑文
趣意書
 ああ 過ぎしいくさの日日を憶えは痛ましくも悲しく万感胸に迫る
 時まさに風雲急を告げ青春の血を燃やし国難に殉せんと祖国遥かに陸海空の戦陣に召されるや護国の大任に就き戦傷病を負い戦列を去ったわれら傷痍軍人は、昭和20年8月15日痛恨と慟哭の裡に終戦を迎えた
 国破れて山河あり 傷痍の身に生命の灯を点し帰郷したわれらは、以来耐え難き苦悩と心身の障害を克服 祖国再建 平和布求の決意も新たに再起し妻とともに相寄り相扶な生活を刻み心魂を傾け生きてきた生きざまを省みるとき 恒久平和 祖国郷土の発展 家運繁栄を衷心より記念して止まず 願わくはこの熱き思いを込めたわれらの志を永く伝えるべく 四季美しく神鎮まる城址の丘に傷痍の碑を建立 協賛会員一同の名を刻み 鎮魂のため 上杉神霊の加護を祈願奉納するものである
    昭和57年5月1日
       米澤市傷痍軍人会、米澤市傷痍軍人妻之会
その他
 折角の碑であるが、建立場所が悪い。殆どの人が参拝しないのでは。上杉神社の「招魂塔」の側に建立して頂ければ傷痍軍人の方々の思いが伝わるであろうに1
【慰霊碑】
【碑】 【碑全景】 【御詠歌?】
慰霊の碑(上杉神社)
建立場所
 米沢市丸の内1-4-13 上杉神社 (松が岬公園)
碑の趣旨(碑文)
 ふるさとの父母想い 妻や子の やすらかなれと 祈りつつ 平和を願い 散りし魂
 戦後50年の節目の年に当り、あらためて、あの太平洋戦争を顧みながら、世界の恒久平和と、御霊の永遠の安寧を願うとともに、あの痛ましい悲惨な戦争体験を風化させることなく、戦争を二度と起こさない証として、ここに慰霊碑を建立する
  平成7年9月
   米沢市遺族連合会  米沢市遺族共励会・婦人部、青壮年部
【慰霊碑】
【碑】 【碑全般】
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