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原爆ドーム(広島市) | ||||||
所在地 広島県広島市中区大手町1丁目10 沿革 *原爆ドームは、大正4年(1915年)4月に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ、広島県美術展覧会や博覧会も催されていました。設立当初は 「広島県物産陳列館」という名称でしたが、その後「広島県立商品陳列所」、昭和8年(1933年)には「広島県産業奨励館」に改称された。 *設計者はチェコの建築家ヤン・レツル氏。 一部鉄骨を使用した煉瓦造の建物で、石材とモルタルで外装が施されていました。全体は窓の多い3階建で、正面中央部分に5階建の階段室、その上に銅板の楕円形ドーム(長軸約11メートル、短軸約8メートル、高さ4メートル)が載せられていた。 1階は主に事務用、2・3階が陳列用に当てられていた。 建坪面積は310坪、陳列場は620坪。 *昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。米軍による人類史上最初の原子爆弾が広島に投下された。 広島県産業奨励館から南東約160メートル、高度約 600メートルのところで炸裂、爆風の圧力は1平方メートルあたり35トン、風速は440メートルという凄まじいもの。 建物は爆風と熱線を浴びて大破し、 天井から火を吹いて全焼。爆風がほとんど垂直に働いたため、本館の中心部は奇跡的に倒壊を免れたものの、館内にいた人はすべて即死しています。 戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋、鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになった。 *昭和28年(1953年)に広島県から広島市に譲渡された。その後、風化が進み、国内外での善意の募金により3回の大規模な保存工事が行われた。 *平成7年(1995年)6月に国の史跡に指定され、文化庁からユネスコに登録申請。平成8年(1996年)12月、世界文化遺産へ登録された。 *現在では、被爆当時の惨状を残す姿がノーモア・ヒロシマの象徴として、時代を越えて核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えるシンボルになっている。 ◎ 「広島の方々の生命力は凄い!」と感じた。原爆についての知識・情報の無いまま、敗戦を迎えての凄まじい復興の道。 町の人に、「生きていくために、その汚染された土地に野菜を植え、それを食べた。」「皆、必死に生き抜いた。樹木の生命力も凄い。この汚染された土地から育って行くのだから。」等々、と聞いた。 ◎参考ホームページ * 広島市 原爆ドーム * 広島県 観光サイト ひろしま観光ナビ 原爆ドーム * ひろしまナビゲーター 原爆ドーム |
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【原爆ドームの状況】 | ||||||
原爆死没者慰霊碑と原爆ドーム 広島平和記念資料館か |
平和記念公園から見た全景 |
平和記念公園にあった説明板 |
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ドーム |
建物右側部分 爆風を受けた側:破壊がひどい |
上空からの姿(説明板) |
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左側 |
正面 |
右側面 |
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広島城方向から見たドーム |
背面方から見たドーム |
右後方からみたドーム |
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