広島原爆記録
歩兵第十一聯隊(広島市)
*中区基町21 (RCC中国放送南側・広島城お堀緑地帯)

*「碑文」
歩兵第十一聨隊略歴
一、明治八年五月広島の地に創設 同年九月九日聨隊旗受領
二、明治九年十月萩の乱に出動
三、明治十年西南の役に出動
四、明治二十七年日清戦争に出動、朝鮮、中国北部各地を転戦 同二十八年七月復員
五、明治三十三年北清事変に出動
六、明治三十七年四月日露戦争に出動、南満州(現中国東北部) の各地を転戦し、同三十八年十二月復員
七、大正八年七月シベリアに出兵
八、昭和十二年七月二十七日中戦争に出動、中国全土を転戦
九、昭和十六年十二月八日太平洋戦争勃発、マレー作戦に参加 し、のち南太平洋諸島を転戦中、同二十年八月十五日終戦となる。同年八月二十六日シンガポールにおいて軍旗 を焼く。創設以来七十二年の歴史を閉じ解隊する
十、この間、特に、昭和十二年日中戦争以降、歩兵第十一聨隊 を母体とする藤部隊、槍部隊、開部隊、望部隊、西部第二部隊等を創設、各々克く健闘した。
 ここに、聨隊跡碑を建立し往時を偲ぶ縁とする。
   昭和五十五年七月建立 平成六年八月改刻
      歩十一会
*上:門柱

*左:碑 表面

*右:歩兵第十一聯隊兵営配置図
*「門柱の由来
 この石柱は歩兵第十一聯隊入口正門として建っていた門柱で長年月にわたり入隊訓練帰還と幾多の年代的過程を静かに見守って来た歴史の商人とも言える記念すべき門柱であります。
 しかも原爆被災の中で残存し得た当時を偲ぶ唯一の遺跡でもあります。幸い篤志家の手により広島市立福木保育園に保存されていたもので今般譲りうけゆかりの地に移転建立し歴史の証とするものであります。

    昭和五十九年九月吉日 歩十一会

*碑と門柱:左:正面から、右:裏面から
桜花の絆
   
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