広島原爆記録
陸軍糧秣支厰倉庫跡(広島市)
*場所:南区宇品海岸三丁目11

*モニュメントに添えられている説明文
 広島陸軍糧秣支廠倉庫(爆心から約4.6キロメートル)
 陸軍糧秣支廠は、戦時において必要な兵隊の食料や軍馬の飼料を調達、補給するために設置されました。1894(明治27)年に日清戦争が始まると、当時山陽鉄道の西端であった広島駅とここ宇品を結ぶ軍用鉄道を二週間あまりの突貫工事により完成させ、宇品港は第二次世界大戦が終結するまで陸軍の海外への輸送基地となりました。
 この倉庫は、1910(明治43)年頃、軍需物資を保管するため、宇品駅のプラットホームに沿ってレンガ造りで建てられました。
 1845(昭和20)年8月6日の原爆による被害は、爆心地から離れていたため軽微にとどまり、傷ついた大勢の被爆者たちはこの付近の陸軍の関連施設に収容され、手当てを受けました。
 戦後、日本通運株式会社に払い下げられ倉庫として利用されてきましたが、1997(平成9)年、広島南道路の整備にあたり、被爆建物として歴史を後世に伝えるため、その一部をモニュメントとして保存するものです。
 写真(旧広島陸軍糧秣支廠倉庫 1985(昭和60)年4月 井出三千男氏撮影 日本通運株式会社寄贈)
桜花の絆
   
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