指定護國神社参一覧表・参拝記録 
千葉縣護國神社  
  鎮座地

 千葉県千葉市中央区弁天3丁目16番1号

御祭神

  当千葉縣護國神社は、幕末の嘉永6年(1853年)以降約一世紀にわたり、戊辰の役・西南の役・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・大東亜戦争などにおいて、ひたすら「国安かれ」との一念のもとに、その尊いいのちを捧げられた方々のみたまを、「護國」の神としてお祀り申し上げているお社であります。
 その御祭神の多くは幕末から、明治・大正・昭和にかけて、敢然と国難に立ち向かわれた前途有為な青壮年たちで現在五万七千余柱にのぼり、しかもそれは軍人だけでなく、従軍看護婦や児童、生徒など女性の御祭神も含まれているのです。このように、当社の御祭神は身分・勲階・男女の区分なく、すべて祖国に殉ぜられた尊いみたまとして斉しく大切に祀られております。


御由緒:
  明治天皇の深い思召を以て、明治11年1月27日、初代県令柴原和が発起となり、一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の勲を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるために千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのにはじまり、爾来社地変更・御社号改称等の変遷を経て、昭和42年9月30日亥鼻山から現境内地に御遷座申し上げ、平成7年には、御創立壹百拾五年を記念し御社殿などの主要建造物大修復工事を、また、平成17年9月には大鳥居再建の大事業を完遂しました。

 昭和48年10月天皇・皇后両陛下には、国民体育大会開会式御臨場を機に御親拝遊ばされ同月全国身体障害者スポーツ大会に御臨場を機に皇太子(今上 天皇)・同妃両殿下が御参拝遊ばされるなど創建以来皇室の御祟敬はもとより、県民遺族の変わらぬ祟敬のもとに御神徳は愈々輝き、御社頭は日毎に隆昌に赴いて居ります。
 ホームページ : http://www.jin.ne.jp/gokoku/         
  千葉公園の一角に静かに鎮座している。参拝日、一組の結婚式が挙行されていた。
 隣地に県が管理する千葉県忠霊塔(旧墓地)があり、その敷地に数基の慰霊碑等が建立されていた。そのためであろう、この護國神社には慰霊碑は建立されていなかった。
 参考に写真を掲載したが、交差点に「護國神社入口」、通り名に「護國神社通り」と名付けられており、また、JR千葉江にもっ明確に「護国神社の方向」が示されており、千葉県民の御心をうかがうことが出来る。
 拝殿等境内施設
【第2鳥居・神門・奥に拝殿】
 【御朱印
 【道路から鳥居・参道・社号標
 【千葉縣護國神社 御創立百年記念碑、御遷座碑
手水舎】
 
 【護國神社前の標識
 
【社務所内展示 : 遺品・模型等】
 
慰霊碑等
千葉県特攻勇士之像」:あゝ特攻
 
護国神社
   
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