指定護國神社参一覧表・参拝記録 
岩手護國神社  
  鎮座地
 岩手県盛岡市八幡町13-2 盛岡八幡宮境内(護國神社ゾーン)

御祭神
 岩手県ゆかりの御英霊3万5800余柱

御由緒(沿革)
 当神社は、明治天皇の畏き思し召しのより、明治新成の夜明け勤王の大儀を固守し、国事に殉ぜられた郷土の勤王の志士、目時隆之進命・中島源蔵命の二柱の御霊を祀る為明治二年十一月二日岩手郡東中野村茶畑の地に時の盛岡蕃知事南部利恭により「招魂社」を創建されました。
 その後、西南戦争、日清日露の両戦役、そして大東亜戦争等幾多の事変戦役で、我が国の平和と繁栄を念じつつ尊い生命を御国に捧げられた、御英霊三万五千七百余柱がお祀りされています。
 明治十四年、当時の内丸公園地に遷座されましたが、明治三十九年にはその社地を県社八幡宮の境内に求め遷座されました。更に、昭和十四年には境内地を拡張して、神明造様式による新たな大社殿が造営され、「岩手護國神社」と改称し、現在に至っております。
 昭和二十四年三月、占領政策により「岩手神社」と改称したが、昭和二十八年四月「岩手護國神社」と復称した。
 ホームページ : http://www.morioka8man.jp/main/keidai_3.html      
 県の護國神社だが独立した遷座地ではなく、岩手県八幡宮の境内に、八幡宮と笠森稲荷と仲良く遷座していた。
 護國神社の社務所は通常無人らしく、「御用の方は八幡宮の社務所に来るように」メモ書きがあった。御朱印を頂くのと戦歿者遺品館を見学するため、八幡宮の社務所に行きお願いすると気持ち良く対応してくれた。
 結婚式あるいは一般的な神社での御祈祷は八幡宮で実施するので、護國神社の社務所は残念ながら効率化のため無人なのだろう。
 私が参拝している間、八幡宮あるいは笠森稲荷には参拝者が多数おられたが、護國神社まで足を延ばす人はいなかった。
 三つのゾーンを合わせると総面積2万坪というからかなり広い。八幡宮及び笠森稲荷は、複数の神社等が有り、巡るのに結構時間がかかった。
 また、社号に「縣」がついていない護國神社は珍しい。
 拝殿等境内施設
【正面入口/大鳥居、正面に拝殿】
 【御朱印】
【扁額】(縣がない) 
【招魂斎庭】
 
【戦歿者遺骨奉安殿】 (身寄りのない戦歿者の遺骨を安置)
【霊璽簿奉安殿】(戦没者と遺族の名前を記した名簿を保管)
岩手県戦没者遺品館
 
「遺品館建設趣旨」
 
 昭和20年、大東亜戦争終結から40年を迎えました。あの痛ましい戦争も人々の記憶から消え去ろうとしています。
 戦後日本は、国民のたゆまぬ努力により経済、文化に目覚ましい発展を遂げ、今や世界の先進国と言われるまでになりました。このことは過去において、いかなる戦争であったにせよ、その時代に身命を捧げ、因難に殉じた人々の上に築かれたものであることを決して忘れてはなりません。
 戦争を知らない世代の人々に、戦争と言うものが如何に痛ましいものであるのか、また国家の平和と安全を守り抜くためにはどうあるべきか、を深く考えさせることこそが大切でありましょう。
 このような意味において、ここに展示している岩手県出身将兵の遺品を通じ思いを新たにし、この遺品を末永く展示の上、戦歿者を追悼し、英霊を慰め、平和への誓いを確かめ合う目的をもって、岩手県戦歿者遺品館を建設した次第であります。

 昭和60年4月25日 岩手県戦歿者遺品館建設協賛会

*開館時間 10:00~16:00 (社務所に連絡)
慰霊碑等
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。  
平和の塔 ビアク支隊戦歿者顕彰碑 鎮魂歩兵第三十一連隊戦歿者将兵一同之霊
   
護国神社
   
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