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神奈川県戦没者慰霊堂 | |||||||
鎮座地 神奈川県港南区最戸2丁目19-1 御祭神 明治以降の戦争における戦没者・戦災死者、5万8千余名の追悼 御由緒(沿革) 昭和27年の対日講和条約の発効を機に、明治以降の戦争における戦没者、戦災死者を追悼するとともに、県民の平和愛好の象徴として建設され、戦没者及び戦災死者 5万8千余名の名簿が納められ、遺族の心のよりどころとなっています。 慰霊堂は、緑に囲まれた見晴らしのよい台地にあり、桜の名所ともなっています。 毎年5月10日には、神奈川県主催の 「神奈川県戦没者追悼式 」が行われているほか、関係団体の追悼行事が行われています。 神奈川県には、護国神社がないため、戦没者等の追悼施設としてこの慰霊堂が建設された。 *神奈川県護國神社は、神奈川区三ツ沢に昭和18年11月造営を始め、竣工目前の昭和20年5月29日、横浜大空襲で社殿が焼失した。 *県は、昭和22年6月、境内地を横浜市に無償で払い下げた。横浜市はその地に慰霊塔を建立した。 *昭和26年11月、遺族会が主催し、市町村が後援する合同慰霊祭が、横浜市鶴見区の総持寺で行われた。 *昭和27年5月9日、講和条約発効を記念して「大慰霊祭」を実施。 *昭和28年11月、真言宗千手院から無償譲渡された地に、慰霊堂を竣工した。 (檀家の一部が譲渡を反対したが、住職は「命の尊さが分からない者は檀家でなくてもいい」と言い、譲渡したという。) *当初、慰霊祭は、諸宗教(神道、仏教、キリスト教)合同で実施されていた。「神奈川方式」 *昭和49年、民間の奉賛会主催の「奉賛行事」と、行政が主催する非宗教的な「慰霊祭」が分離実施されるようになった。 *昭和57年、「慰霊祭」は「戦歿者追悼式」と名称変更し、5月10日に実施される・・・宗教性を排除。 *民間の追悼行事には知事は参列しない。県の追悼式における知事の式辞は、戦歿者の御霊にではなく、遺族に対するものだそうです。 |
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ホームページ : http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f153/p2926.html | |||||||
京浜急行上大岡駅から徒歩5分ほど、小高い丘の上に建てられている。周辺は公園も整備され静かな環境の中で御英霊も落ち着いて我々を見守っていることであろう。 慰霊堂は、宗教施設ではないが、雰囲気としては神社の雰囲気も醸し出している。 近くにある「かながわ平和祈念館」には、戦没者の遺品展示ホール、ライブラリーなどがあり一度は訪れたい施設である。 日本の為に尊い身命を捧げた神奈川県出身の英霊を追悼する趣旨は同様なので、護国神社と同様に「指定護國神社」に加えた。 |
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境内施設 | |||||||
【慰霊堂入口階段】 |
【慰霊堂標】 |
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【慰霊堂全景】 |
登り口にある【神奈川県戦没者慰霊堂】標識 |
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【希望の年・平和植樹碑:平和への願いをこめて】 |
【顕彰碑】「真言宗千手院」から本慰霊堂の聖域提供 |
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「かながわ平和祈念館」 | |||||||
場所 横浜市港南区大久保1丁目8番10号 概要 かながわ平和祈念館(神奈川県戦没者慰霊堂附属会館の愛称)は、戦後50年の節目にあたる平成7年に従来の附属会館を建て替え、戦争体験を風化させず次世代に伝えるとともに広く県民に親しまれる施設として整備されたものです。 開館日 次の休館日を除く毎日 休館日年末年始(12月29日から翌年1月3日) 午前9時から午後5時まで 展示ホールは予約なしで入場できます。 |
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