|
|||||||||||||||||||||||||
三重縣護國神社 | |||||||||||||||||||||||||
鎮座地 三重県津市広明町387 (津駅より徒歩5分) 御祭神 祖国の繁栄を願いながら、平和の礎となられた、 三重県出身 御英霊六万三百余柱を祀る
|
|||||||||||||||||||||||||
御由緒(沿革) 「栞より」 「御英霊」 私たち日本人は日本のために尊い命を捧げられた人々の御霊をこう呼んできました。 幕末開国以来、日本は近代国家となるために幾度かの国事国難を経なければなりませんでした。祖国の繁栄をい願いながら、平和の礎となられた御英霊を御祭神として祀るのが靖國神社、護國神社であり、中でも三重県出身者6万300余柱を祀るのが三重縣護國神社です。 御創祀は明治2年、津藩主藤堂高猷公が津八幡宮に小祠を建て、戊辰の役で戦死した藩士の御霊を祀り、「表忠社」と称したのが始まりです。 以来、「招魂社」「官祭招魂社」と社名を変え、明治42年には現在地にご遷座し、昭和14年に現在の社名「三重縣護國神社」となりました。しかし、昭和20年の空襲で本殿・神饌所を残し建物を焼失、また戦後の連合国による占領下において「三重神社」と改称しなければならないじきもありました。 昭和28年、日本の独立を期に再び「三重縣護國神社」とし、同32年には、本殿等を新たに御造営復興し、その後幾度かの改築・新築を行い現在に至っています。 また、大東亜戦争の終戦より節目の年毎には、天皇陛下より幣帛料を賜り、臨時大祭を斎行しております。 御祭神が日本の為に尊い命を捧げられた御英霊であるので、日本そして郷土三重の守り神、平和と繁栄の神様として崇敬されております。 また、御英霊が願われていたのが、これからの日本を担う幼い子供たちの成長であることから、子供の神様として三重県内各地から広く、その崇敬を集めています。 私たちは日々平和で豊かな日本に暮らしていけることを護国の神様に感謝しなければなりません。 |
|||||||||||||||||||||||||
ホームページ : http://www.mie-gokoku.or.jp/ | |||||||||||||||||||||||||
津駅の目の前に鎮座。改札口を出ると西出口の案内板に「護國神社」が、また、近傍の案内地図にも護國神社が明確に書かれている。素晴らしい! 駅前に鎮座する利点と共に、津市民(三重県人)に護國神社が認識されている証であろう。 境内には、遺品史料室があり、慰霊碑等が整然と建立されていた。 |
|||||||||||||||||||||||||
境内施設 | |||||||||||||||||||||||||
【正面鳥居、社号標、奥に拝殿】 |
【御朱印】 |
||||||||||||||||||||||||
【拝殿内】 |
【扁額】 |
||||||||||||||||||||||||
【御英霊の便り掲載版】 |
【駅前の護國神社の看板】 |
||||||||||||||||||||||||
【遺品資料館】 | |||||||||||||||||||||||||
* 本殿の左側に連なっている。 * この遺品資料館には、御英霊のご遺族から奉納された数々の遺品・遺留品をはじめ戦友・崇敬者より奉納された資料等を中心に展示してあります。 * 御英霊の清く尊いご功績を称えると共に往事を偲び、今私達が、平和で豊かな日本に暮らしていることをあらためて護国の神様に感謝しましょう。 |
|||||||||||||||||||||||||
慰霊碑等 | |||||||||||||||||||||||||
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。 | |||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||
|