指定護國神社参一覧表・参拝記録 
沖縄県護国神社  
  鎮座地
 沖縄県那覇市奥武山(オウノヤマ)町44  奥武山公園内

御祭神
 総柱数 177912柱
 北海道:10090柱 青森県:550柱 岩手県:630柱 秋田県:433柱
 山形県:771柱 宮城県:582柱 福島県:942柱 新潟県:1111柱
 栃木県:434柱 群馬県:858柱 茨城県:523柱 千葉県:1660柱
 埼玉県:1037柱 東京都:2480柱 神奈川県:438柱 山梨県:532柱
 静岡県:1683柱 愛知県:2517柱 長野県:1237柱 富山県:632柱
 石川県:883柱 福井県:1135柱 岐阜県:820柱 滋賀県:1695柱
 三重県:2853柱 奈良県:483柱 和歌山県:833柱 京都府:2538柱
 大阪府:2202柱 兵庫県:2637柱 鳥取県:539柱 岡山県:1635柱
 島根県:562柱 広島県:1360柱 山口県:842柱 徳島県:934柱
 愛媛県:2040柱 高知県:813柱 福岡県:2314柱 佐賀県:914柱
 大分県:977柱 長崎県:1566柱 熊本県:1783柱 宮崎県:1747柱
 鹿児島県:2576柱 沖縄県:110981柱
御由緒(栞):
   当神社は、昭和11年に招魂社として創建され昭和14年に護国神社と改称、昭和15年7月に内務大臣指定護国神社となり、県社相当の社格を与えられました。
 日清日露戦争以降、先の大戦までの国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人、軍属をはじめ、沖縄戦にて散華された一般州民並に本土出身の御英霊を祀る神社です。
 昭和15年、那覇市による皇紀2600年を祝う筆頭事業として、護国神社の社殿・施設の拡充が計画され、昭和16年9月本殿改修工事が終了し、同時に拝殿、神饌所等も建立されました。
 しかし、昭和20年の沖縄戦により神社も戦災を被り、戦後は本殿ほか一部の施設を残す状態でした。
 その後、境内地は学校用地として一時共用されましたが、沖縄戦での戦没者をお祀りしようとの声が県内各地から起り、昭和34年4月に仮社殿が建立され戦後第1回春季例大祭を斎行しました。 同年11月に靖国神社より沖縄戦にて散華された全国の御英霊の御霊代が奉移され、同神社権宮司池田良八氏を祭主に第1回秋季例大祭を斎行しました。
 昭和40年10月、社団法人沖縄県護国神社復興期成会の尽力により、現在の本殿、拝殿が竣工し、11月に天皇陛下から幣帛を賜り、遷座祭並に奉祝祭を斎行しました。
 昭和47年5月の沖縄本土復帰を機に県へ宗教法人認証新生の結果、昭和48年12月18日宗教法人沖縄県護国神社として認証されました。
 その後県民の神社として崇敬を集め、多方面からの奉賛を戴き、念願であった新社務所を、平成22年12月に完功しました。
 
主な祭典
 春季(4月23日)、秋季(10月23日)例大祭の他、6月23日の沖縄全戦歿者慰霊祭、8月15日のみたま祭りをはじめ、毎月1日、23日に月次祭を斎行しています。
 ホームページ : 沖縄県護国神社         ブログ : 沖縄県護国神社
 沖縄戦でご苦労された県民のご先祖、ご家族等々を始め、日本中から参戦した多くの戦災・戦病歿者のみ霊が祀られている厳かさを感じる。
しかし、残念ながら、場所的に相当意識しないと参拝するには大変だな?と感じた。観光コースとは離れ、存在を示すものも少ない。
 一般の観光客はその計画のコース外であろう。
 戦没者の慰霊に来られた方々も、多くの人は実戦場の跡、或は犠牲になられた多くの方々の直接関係する慰霊碑、或は各県に関する慰霊碑等の参拝中心になってしまうのではないか?
 境内施設
鳥居・社号標
 【御朱印
日本の平和の紀念樹:梛(なぎ)】 
 
贈呈:和歌山県熊野速玉神社 
 【献獨立混成第十五聯隊戦跡慰霊樹
 
平成5年11月10日 
  【沖縄本土復帰三十周年記念

平成14年6月19日:神道青年全国協議会
沖縄本土復帰四十周年記念
 
平成24年6月12日:神道青年全国協議会 
慰霊碑等
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御製碑
平和の像
神石:人命尊愛
傷痍軍人夫婦像
悲歌
 
護国神社
   
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