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大分縣護國神社 | ||||||
鎮座地 大分県 大分市 大字牧 松栄山 1371 御祭神 明治維新以来佐賀の乱での戦死者をはじめ国難に殉じた大分県縁故の殉国の英霊四万四千余柱 御由緒(栞) 明治8年10月18日、大分県初代県令森下景端により、この松栄山の地に佐賀の乱の戦歿者を慰霊鎮魂するため「招魂社」が創建されました。 招魂社は現在の展望台、招魂斎庭の位置にありましたが、昭和18年10月18日に多くの皆様方の勤労奉仕もいただき、社殿の大造営が完成して現在の場所に遷座されました。 「招魂社」は昭和14年に「大分縣護国神社」と改称され、戦後は一時期「豊霊宮」と呼ばれましたが、独立を回復した昭和27年再び「大分縣護国神社」と元の社号に戻されました。 昭和41年10月22日、大分国民体育大会にご臨席された、昭和天皇、香淳皇后両陛下が御親拝遊ばされ、また52年9月16日には、天皇、皇后両陛下が皇太子同妃両殿下の御時に御参拝になられました。 |
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松栄山(栞) 護国の大神が鎮まる松栄山は、開発が進み緑が少なくなっていく大分市にあって、豊かな自然が残る貴重な場所です。5万坪の境内地の多くは山林で、動植物や昆虫の種類も多く、また展望台からは大分市街地、別府湾が一望でき、天気のいい日には遠く四国を望むこともできます。 |
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ホームページ : 大分縣護国神社 : |
日豊本線牧駅(高城駅)から歩いて行くと、護国神社下交差点に大きな「大分縣護国神社」、「大分縣護国神社入口」の看板がある。迷うことはない。 そこから少し歩くと、鳥居・社号標がある。そこから境内・御社殿まで、長い坂道・石段の参道を歩く。途中に「招魂斎庭」「西南の役軍人五知」「西南の役警察官墓地」があり、歴史を感じる。 境内は広く、静かな佇まい。社殿に行く前に、特大の「おおはま矢(叶い矢)」「大熊手」「大絵馬」が迎えてくれる。慰霊塔広場の方には「大門松」が迎えてくれます。 雄大な境内、荘厳な御社殿は、御英霊が祭られるに相応しい雰囲気である。 |
境内施設 | ||||||||||||||||||||
【ご本殿・大絵馬】 |
【御朱印】 |
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【第1鳥居・社号標】 |
【神門】 |
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【扁額】 |
【神楽殿・参集殿】 |
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【日本一の大熊手・叶い矢】 |
【日本一の破魔矢】 |
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言霊記念館 | ||||||||||||||||||||
御祭神が残された遺書や手紙を掲示してあります。 国を守る為に散っていった御英霊のこころを未来に伝えます。 写真展示やビデオ上映も行われています。 入館無料です。 |
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慰霊碑等 | ||||||||||||||||||||
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。 | ||||||||||||||||||||
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