指定護國神社一覧表・参拝記録 
大阪護國神社  
  鎮座地
 大阪府大阪市住之江区南加賀谷1-1-77 (住之江公園の南西側)

御祭神
 大阪府出身並びに縁故の殉国の英霊 10万5千6百余柱

御由緒(沿革)
 昭和12年、支那事変が起こるや国民の間から、殉国の英霊に崇敬報恩の誠を捧げ、ご遺徳を永く追憶しなければならないとの気風が興り、その至誠が凝結して昭和15年遂に大阪護國神社のご創建をみるに至りました。
 当時の大作府知事が奉賛会長に就任し、内務大臣指定護國神社として明治維新以降の大阪府出身の英霊を奉斎し、同年5月4日、鎮座祭が盛大に斎行されました。
 しかし、戦争の激化、さらに敗戦となり容易に復興ができなくなりました。
 進駐軍の厳しい監視のもと、慰霊祭の禁止、神社名の改称を余儀なくされ、浪速興隆の礎を築かれた仁徳天皇をお祀り申し上げ「浪速宮」と改称し辛うじて存続が許された。
 昭和27年、大阪護國神社に復称した。先の経過により、奉安殿に仁徳天皇を、相殿には東郷平八郎元帥をご遺髪と共に奉斎申上げている。
 昭和35年に至り「造営奉賛会」が結成発会となり、府下十万余のご遺族、7百万府民をはじめ、官公財界の協賛を仰ぎ昭和38年春、社殿はめでたく竣工し5月29日、浄闇裡に荘重神厳なる本殿鎮座祭が斎行されました。
 昭和45年には昭和天皇、香淳皇后に、今上陛下、皇后陛下には昭和53年に御親拝を仰ぎました。
 ホームページ :     大阪護國神社  
 地下鉄「住之江公園」駅の間近に鎮座する落ち着いた荘厳な雰囲気のある神社である。地下鉄を降り公園方向に行く人或いはその逆の人々が神社を横切って行く。中にはきちんと礼をする人もいる。
 慰霊碑は、東西に分けられ建立されている。大鳥居の右側(東)は整然と立派な慰霊碑群、左側(西)は数多くの慰霊碑が碑文が満足に読めないほど肩を並べてくっつきあって建立されている。経緯は分からないが、何故こんなに違うのか?その地域にはまだ余裕があるようだが?
 拝殿等境内施設
【大鳥居、社号標、正面に拝殿】
 【御朱印】
【拝殿内:国旗と軍艦旗】

【神社近くの浜口交差点】
【東側慰霊碑群】
【西側慰霊碑群】
慰霊碑等
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。  
祖霊社ほまれの宮

(大阪護国神社のHPから)
 奉安殿
さざれ石
母に感謝の像
あゝ特攻
海軍大尉 粟井俊夫之碑
騎兵第四聯隊 慰霊
 
歩兵第三十七聯隊 慰霊碑
檜第六十八師團 慰霊碑
 歩兵第八聯隊慰霊碑 平和の礎
野砲兵第四聯隊 鎮魂
香8114部隊第四中隊 殉国の英霊
海軍関係戦歿者 慰霊碑
豫科練 貴様と俺と翼の碑 
第三十四師団通信隊 鎮魂
 野砲兵第二十六聯隊 つわもの之碑
 龍山歩兵第七十九聯隊 戦友はこゝに眠る
海軍第1期飛行専修豫備生徒 慰霊
 独立輜重兵第五十四大隊 慰霊
サイパン島 慰霊碑
歩兵第二百十七聯隊之碑
歩兵第二百十六聯隊 鎮魂
歩兵第百八聯隊 つわもの之霊ここに鎮まる
 
 騎兵第四聯隊 捜索第四聯隊
騎兵第二十八聯隊 捜索第二十聯隊鎮魂

 歩兵第十四聯隊 慰霊碑

皇風洽六合 明徳侔太陽之碑
 
護国神社
   
inserted by FC2 system