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埼玉縣護國神社 | |||||||||||||||||
鎮座地 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3-149 (大宮公園の北西) 御祭神 鳥羽伏見の役以後の国事に殉ぜられた、埼玉県の英霊5万1千余柱を祀る 御由緒(沿革) 国事に殉ぜられた埼玉県の英霊は、古くはそれぞれの縁故の地に祀られて、随時随所に神離(ひもろぎ)を樹て、その祭りが行なわれていたが、日露の戦役以後、英霊の数の増し加わるに及んで、春秋二季に別け、県下慰霊安鎮の祭が行なわれるようになり、昭和六年満州事変が起り、その柱数も二千六百有余を数えるにいたって、漸く慰霊顕彰の重きが議せられ、昭和八年埼玉県招魂社建設の計画が進むにいたった。 同年9月2日建設出願が決まり、同22日内務大臣の許可を得たので、県民の総意にもとづき、大宮公園の西端奥山の聖地が選定され、昭和9年4月9日、時の近衛師団長朝香宮殿下をはじめ、陸海将兵、県官民数万の参列のもとに、盛大なる鎮座祭が行なわれ、ここに埼玉県招魂社が鎮座設立されたのであります。 昭和14年3月神社制度の改正により、埼玉県護国神社と改称、同年4月指定護国神社となり、神饌幣帛の供進がなされることとなり、県官民挙げて、盛大なる祭りが年々に執り行なわれました。 昭和21年2月神社制度の変革により、宗教法人令による、宗教法人埼玉県護国神社と改め、更に昭和23年10月社名を埼霊神社と改称するにいたったが、昭和27年県下崇敬者の総意により、再び埼玉県護国神社と改称し、昭和30年1月奉賛会が設立せられ、5万1180柱の英霊を祀り祭祀を完うして今日にいたっている。 |
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ホームページ : なし | |||||||||||||||||
国体実施の関係で境内の間に県道が開通されたため、境内が2分割されたのは惨めな感じだ。 参拝日(平成25年10月10日)に「特攻勇士顕彰碑」が据付工事だった。「10月27日に公開される。今日据付で今からその日までカバーをかける。今日この碑を見ることだ出来たのは良いことだね」と宮司さんに言われた。 「傷痍軍人の塔」に使われている石は凄い!こんなに大きい、厚さのある石、まさに塔に相応しい。 敷地が狭いが、なんとかして資料館を作り、参拝した方々が自由に見ることが出来るような各種の遺品や関係する資料の展示をして頂きたい。 |
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境内施設 | |||||||||||||||||
【今回参拝時:社号標・大鳥居は、大宮公園の中(100m程)に移動していた。】 |
【前回参拝時:公園側神社参道入り口・社号標(道路をはさみ)】 |
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【御朱印】 |
【献花:特攻花】:知覧より移植:平成12年5月5日:埼玉県少飛会 |
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【遺品展示室】 |
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*平成25年の参拝時には「遺品館」はなく社務所の中に、寄付された遺品等が展示されている状態だった。 下の写真参照 *今回(令和2年10月)の参拝時には、「居日展示室」が設けられ、期待して見学しようと社務所に行くと、「新型コロナ」の影響で「閉鎖」入場は出来ません。」との事。残念。「密」にはならないと思うが? |
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慰霊碑等 | |||||||||||||||||
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。 | |||||||||||||||||
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