指定護國神社一覧表・参拝記録 
徳島縣護國神社  
  鎮座地
 徳島県徳島市雑賀町東開21-1

御祭神
 明治戊辰の役より幾多の事変並びに戦争等の国難に殉ぜられた徳島県出身の英霊3万4千3百余柱を奉斎している。
 又、相殿に徳島県出身の殉職自衛官の御霊20余柱を奉斎する。

御由緒(沿革)
  明治12年9月徳島市眉山公園に、戊辰戦争からの戦没者を慰霊顕彰するために招魂社として建立されたのが創始であり、明治39年4月徳島中央公園徳島城跡地(城山山頂)に遷座移転された。
 昭和13年には「徳島縣招魂社」として神社が建立され、昭和14年4月内務大臣指定「徳島縣護國神社」と改称した。
 昭和20年7月の徳島大空襲で、すべての建造物を焼失。昭和33年戦後混乱期の社会情勢の中で、県民挙げての奉賛により再建されました。
 昭和53年には御創社百周年記念として境内整備事業が完工し、昭和63年には御創建三十周年記念事業として社殿屋根銅板葺替工事が行われました。
 ところが、その城山山頂は徳島市からの借地であり、原生林保護区域でもあり車道整備などもできず、遺族・崇敬者の参拝も大変不便であり、将来にわたる祭祀の厳修と参拝者の便宜のため、再度移転の話が持ち上がりました。
 現在地にお住まいになられていた女性篤志家から移転用地(約2,700坪)の寄進を受け、遺族・多くの県民からの奉賛を受けて、平成15年9月本殿・社務所参集殿の新築、拝殿・手水舎・慰霊碑および境内諸施設の移設等を完了しました。
 正面入口には石造りでは四国最大級の大鳥居が竣工しました。
 ホームページ :     徳島縣護國神社 徳島県護國神社ツイッター 
 護國神社は、一般的に県庁所在地の市内中心地に近い処にあるが、この護國神社はちょっと郊外にある。また随分綺麗で整然と整備されている。
 平成15年に移設新築されたのだから! そして、海岸沿いにあったので何処か他の護國神社とは違った雰囲気を感じた。
 御由緒と境内にあった「川崎氏顕彰碑」を読んでなるほど!と納得した。それにしてもこの土地を提供された川崎様には御英霊及び御遺族、関係者の方々は皆感謝していることあろう。
 そして私が参拝した2週間ほど前に「徳島県戦歿者記念館 あしたへ」が開館した。素晴らしい記念館である。靖国神社の遊就館を思い出した。
 境内施設
【大鳥居・社号標・境内】
 【御朱印】
【天皇陛下幣帛料奉納】

【奉献:軍旗の一部】

徳島県戦没者記念館
    「徳島県戦没者記念館―明日へ―」御来館の皆様へ

 今日、日本は世界有数の経済大国として発展し、私たち国民は平和で自由な日々を過ごしております。
 しかし、この陰には、先の大戦で祖国を守るため、尊い命を犠牲にされた多くの戦没者がいたことを、決して忘れることは出来ません。

 こうした史実を風化させず、戦没者の御霊を慰霊し、戦争の悲惨さを心に刻み、命と平和の尊さを次世代に語り継いでいくための施設として、「徳島県戦没者記念館」を開館する運びになりました。
 ここには、御遺族から御提供いただいた7千4百柱を超える徳島県出身戦没者の肖像写真・ご芳名とともに、貴重な遺書・遺品を展示しております。また、壁面には、戦争と平和を考える契機となる事を願い、歴史資料をパネル展示しています。

 ぜひ多くの方々にご来館いただき、戦後日本の礎になられた御霊に思いを馳せ、戦争と平和の歴史を見つめ、この「徳島県戦没者記念館―あしたへ―」が未来への展望を考える"出発点"になりますよう願っております。
 平成26年10月5日

    一般財団法人 徳島県遺族会
慰霊碑等
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。  
  【慰霊碑地域全般】

川崎阿佐恵女史顕彰碑
歩兵第四十三聯隊戦没者慰霊碑
歩兵第62連隊第2大隊 戦友之碑
比島戦歿者の碑
桜飛会徳島戦没者慰霊碑
関東軍防疫給水部隊呉支部戦友会
陸軍少年飛行兵 若鷲の碑
 
徳島船砲会 慰霊碑
海軍甲種飛行予科 殉国の若鷲慰霊之碑
海軍戦没者慰霊碑
 
硫黄島戦没者之碑 
 傷痍軍人 歌碑
ソロモン群島戦没者慰霊碑
 
 軍馬之霊
【歩兵第62連隊全国戦友会 慰霊樹】
 
(リンクなし)
護国神社
   
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