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東京都戦歿者霊苑 | |||||||
【東京都戦歿者鎮魂の碑】 |
鎮座地 東京都文京区春日1-14-4 御祭神 東京都関係戦歿者約16万人の霊 御由緒(沿革) 黒御影石に、山本健吉氏選書による平和への願いを記した文章が刻まれています。 あの苦しい戦いのあと、40有余年、私たちは身近に一発の銃声も聞かず、過ごして来ました。あの日々のことはあたかも一睡の悪夢のように、遠く悲しく谺して来ます。 だが、忘れることが出来ましょうか。かつて東京都の同胞たちの16万にも及ぶ人々が、陸に海に散華されたことを。あなた方のその悲しい「死」がなかったら、私たちの今日の「生」もないことを。 そして後から生まれてくる者たちの「いのち」のさきわいのために、私たちは何時までもあなた方の前に祈り続けることでしょう。 この奥津城どころは、私たちのこの祈りと誓いの場です。同時に、すべての都民の心の憩いの苑でもありましょう。 この慰霊、鎮魂の丘に、御こころ永遠に安かれと、茲にこれが辞を作る。 山本 健吉 ◇ 昭和35年6月 竣工 昭和36年4月 除幕式 ◇東京都戦歿者鎮魂の碑 参列広場の正面に、池(水盤)を配置し、池の中に高さ3.36㍍の人工滝があります。 滝を背景に、その中心の水面に浮かぶ形で、高さ1.59㍍の門形の白御影石に囲まれた黒御影石の碑があり、鈴木都知事による「鎮魂」の文字が刻まれています。 |
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◇「由来文碑」 東京都戦歿者霊苑は昭和6年の満州事変から日中戦争を経て、昭和20年8月の太平洋戦争終結までの東京都関係戦歿者約16万人の霊をまつる。 敷地は、昭和15年に忠霊塔建設予定地に選ばれた小石川陸軍工科学校跡地である。 昭和35年、ここに東京都戦歿者霊苑が建設されたが、それは歳月の中に老朽した。 又年々齢を加える遺族が、安全に慰霊祭に参加するための配慮も必要となった。 そこで戦歿者の慰霊と平和への願いを新たに、このたび全面改修を行い、昭和63年3月に完成した。 設計は建築家相田武文、碑文は芸術院会員、文化勲章受章者山本健吉、碑銘の揮毫は東京都知事鈴木俊一による。 私たち都民はこの霊苑につどい、霊前にぬかずき、改めて戦争とは何であったかを深く考えたい。 戦歿者の御霊にお願い申上げる。 お声を風に托して、戦争の実態を私たちに語り聞かせて頂きたい。 そして私たちが強い意志と英知をもって、平和を守るという至情の命題に取り組めるよう、お導きいただきたい。 霊苑が戦歿者の御霊と私たちの心の通い路になることを願って、ここに謹んでその由来を記す。 角田 房子 |
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ホームページ : 東京都戦歿者墓苑 (東京都福祉保健局) | |||||||
東京都には、靖国神社があるので、護国神社はない。しかし、都民の戦没者・戦災者の慰霊顕彰の為、設置したのであろう。 | |||||||
拝殿等境内施設 | |||||||
【公園連絡口方向から参列広場方向】 |
【北側から参列広場】 |
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【参列広場】 |
【参列広場】 |
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遺品展示室(休憩所2階) | |||||||
先の大戦で戦没された方々が遺された手紙、千人針、鉄兜などの遺品等を御遺族からお預かりして展示しています。 観覧は自由です。(無料) |
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慰霊碑等 | |||||||
ありません。 参列広場のメインである「 東京都戦没者鎮魂の碑」のみです。 | |||||||
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