指定護國神社一覧表・参拝記録
富山縣護國神社 
鎮座地
 富山県富山市磯部町1-1

御祭神
*ホームページから
 幾多の戦役で國の為に戰歿された富山県出身の方々の御靈を、御英靈としておまつりしてゐる

*栞から
 富山縣縁の護国の御霊(富山縣のまもり神) 

*青少年のみなさま 「護國のみたま」をまつる心(ホームページ)から
 富山縣護國神社は、富山県出身の二八六八〇柱の御英霊をおまつりしてゐる神社です。御英霊といふのは、この日本といふ國を護まもるために戦争で散華された方々の御霊(みたま)、すなはち、「護國のみたま」のことです。
 
御由緒(沿革):栞
 
この磯部の地は、慶長三年、佐々成政が別園を築き、休憩所を建てたと云はれ、遥か東南に御鎮座されてゐた樫葉神明社にたびたび参拝されたと云ふ由緒ある所です。
 ここに大正元年九月二十五日、富山縣會に於て、「富山縣招魂社」として創立認可され、時の縣知事濱田恒之助が建設委員長となり、翌大正二年八月、神明造の本殿、拜殿、神饌所、手水舎等の竣工をみて御鎮座されたました。
 その後内務省、護國神社令により昭和十四年四月一日「富山縣護國神社」と改稱し、間もなく奉賛會が結成され、縣民あげて奉賛されてきました。しかし、昭和二十年八月一日、米軍の空襲により富山市を中心部は火の海と化し、當神社も手水舎を残して全て焼失してしまったのです。
 幸にもご神体は戦禍を免れ、その後、仮社殿にて祭典奉仕が続けられていましたが、昭和二十八年、富山縣護國神社奉賛會が結成され、昭和二十九年十月、社殿が美事の竣工されたのであります
 さらに、し、さらに、昭和五十七年十月御創建七十周年記念事業として、新社務所、屋外便所、南玉垣、南鳥居等の竣工をみました。又、平成四年十月御創立八十周年記念事業として大拜殿、北・西の玉垣造成をなし、平成七年八月、大東亜戰争終戰五十周年記念として臨時奉幣大祭を斎行。併せて遺芳館を建設し、更に、平成十四年十月四日、御創建九十周年記念事業として本殿大修復を終へ正遷座祭を斎行し、そして、平成二十五年十月、御創立百周年記念事業では、聖帝四代御製碑を建て百年の庭として造営し、大御心を偲ぶ縁としたのであります。

(昭和二十二年四月十三日、富山縣鎮靈神社と改稱、昭和二十六年十月二十四日、富山縣護國神社と復稱。昭和五十年八月一日、終戰三十周年記念事業として、戰災殉難者、公務殉職者、縣功労者の御靈を祀る富山縣鎭靈神社「伊佐雄志神社に改称」を御造営:重要なので追加))

社前案内板
 私達の祖国日本は、幕末以来、幾多の戦役を経験してまいりました。そして、その折、沢山の方々が国の為、又、家族、郷土の為に、世界の平和と共存共栄を祈りつつ尊い命を捧げられました。
 ここ、富山縣護国神社は、それらの方々の御霊を尊んで、「御英霊」とお呼びし、神さまとしてお祀り申し上げています。
 現在、日本の國が平和で、何不自由なく暮らせるのも、ひとへに、諸英霊の大きなお守りのおかげであることを私たちは決して忘れてはなりません。
   御英霊に感謝のまことを捧げませう

 どうぞ、手水舎にて身心を清められ、神さまのおそば近くでご参拝下さい。
 ホームページ :  富山縣護国神社

 観光用地図、路上の案内図等に「護国神社」が明示されており、迷うことなく行けるし、富山市の心が伝わり有り難いことである。
 神社入口の鳥居付近に各種慰霊碑、記念碑等が立ち並び、境内奥に整然かつ雄大に社殿が建っている。殆どの建物が再建されたので綺麗である。静かで美しく綺麗に維持されているので、御英霊も喜んでおられることだろう。

 また、「伊佐雄志神社」を創建され、関係者をお祀りしていることは他の護国神社にはないことであろう。

 参拝後、社務所に行き、御朱印をお願いすると気持ちよく引き受けて頂き、冷たいお茶を頂いた。御朱印ができたので初穂料を出そうとすると、「結構です」と言われ、一瞬「?」、「ご参拝頂いて有り難いことです。御朱印はお礼です。」と説明され、頭が下がりました。
 神社仏閣に相当数参拝し御朱印を頂いているが、こんな有り難いことは初めてである。付け加えて、社務所の方々は皆さん非常に気持ちが良い。明るい雰囲気。参拝者を歓迎するムードが漂っている。
 引き続き、「遺芳館」の見学を申し込むと、巫女さんが気持ちよく対応案内してくれた。茲では美術館並に「音声ガイド」を使用して英霊の「みこころ」を説明してくれる。目で読むのとはイメージが異なり、感動がより強い。二十歳前後の若者が散っていく姿が浮かび涙が出てくる。
 最後に社務所に行きお礼を言うと、社務所の方々は皆立ち上がり、逆に参拝のお礼を言われた。有難う御座いました!
拝殿等境内施設  
 【祈祷殿
 
 【大拝殿
 
大拝殿:祈祷殿側から鳥居方向
 
  【正面鳥居、社号標
  【御朱印
 遺詠は、お祀りされている高田豊志命が御家族に遺言としておくられた最後の手紙の中の「母上様」宛の歌です。

 高田豊志命は昭和20年5月13日、飛行第20戦隊陸軍伍長として台湾宜蘭基地を出撃、沖縄本島西海岸に群がる米艦船に体当たりして散華された。

 父豊次郎さんが、80歳になられた時、戦後久しく仏壇に収められていた白木の箱の中に「うた日記」を発見された。
 この「うた日記」には、高田豊志命が昭和18年の3月から20年の4月まで、毎日和歌を作ることを志し、和歌783、俳句17、詩文9が書き綴られている。この「うた日記」は遺芳館に展示されている。
 【聖帝四代御製碑:創立百周年記念
「聖帝四代御製碑建立の記」

 富出縣護園神社が御創立百周年を迎え 、しづかに戦歿御英霊のおこころをおしのび申し上げ、その精神が青少年の教育の基本となることを願ひつつ、御創立百周年記念大祭を齋行し、そしてその記念大祭を更に意義あらしめる為に、明治天皇、大正天皇、今上天皇が我国の為、散華された御英霊の遺徳を偲び、或は、国民の上を思ひ遣り給ひてお詠みなられました御製・ 御製詩を石に謹刻申し上げたのであります。

 この『 聖帝四代御製碑』が、これからの日本を擔ふ青少年諸君を始め縣民全ての精神的指針となり、祖國日本の復古維新の源となることを祈念してやまないのであります。

    富山縣護園神社
      宦司 栂野守雄


*明治天皇御製(明治三十七年) せとともに 語りつ たへよ 國のため 命をすてし 人のいさをを
 この年二月、日露開戦。皇軍将兵は陸に海に死をも恐れず果敢に戦ひ、十二月に入り、屍の山を築き、夥しい血を流す攻防戦を制し二〇三高地を占領。旅順のロシア艦隊をほぼ壌滅させたのですが、これは、そんな年に詠み給いました御製であります。
  国の為に勇戦奮闘、二つ無き尊い命を國に捧げた将兵の勲功は、世の変邊が如何にあらうとも、未来永劫、子々系々に語り伝へていかなければならない、との大御心と拜されるのであります。


*大正天皇御製(大正四年)  臨靖国神社大祭有作    武夫重義不辞危 想汝従戎殞命時 靖国祠中嚴祭祀 忠魂萬古皇基
 この年四月二十九日、靖国神社に於いては國事殉難者を合祀して、臨時大祭が拳行された。天皇は靖國神社に行幸、御神拝。この御製詩はその御砌泳ませ給ひしものである。
 《 意訳》軍人達は「 義」を重んじて、一旦緩急に当っては命の危険をも顧みることは無く、その軍人達が従事し、命を落 とした時の事が種々に想はれるのである。靖國神社にあっては厳かに祭杞が執り行はれ、忠義のみたま逹は、とこしなへに皇基を護っているのである。


*昭和天皇御製(昭和二十年) 爆撃に たふれゆく民の 上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむども
 大東亜戦争終戦の頃、昭和天皇が国民の身の上を甚く軫念(天皇が御心配遊ばすこと)し給ひ、四首の御製を詠んでおられた事が明らかになったのは昭和四十三年に元侍従次長木下逍雄氏の著書『宮中見聞録』が世に出てからであります。それ等の御製は『宮中見聞録』中に「猛島の製撃に対し雛まもる親島の決死の姿を、涙して想ふだけである。」との著書の言葉と共に記録されている。御製としては異例とも申し上ぐべき破調(31音に合っていない)に、殊に有難き大御心を拜するのみであります。

*今上天皇御製( 平成七年)   國がため あまた逝きしを 悼みつつ 平らけさせき世を 願いあゆまむ
 これは平成七年、「戦後五十年遺族の上を思ひて」の詞書にて詠み給ひ、 日本蓬族会に御下賜遊ばされた御製であります。 この時、皇后陛下も「いかばかり難かりにけむたづさへて君ら歩みし五十年の道」の御歌を下されました。
 平成六年、終戦五十周年の年を翌年に控へ 、両陸下は硫黄島に、そして五十周年の年七年には長崎、広島、沖縄、東京 と戦災激甚の地を巡拜の為に行幸啓あらせられたのであります。

 
 比の「 聖帝四代の御製碑」を通じて、国民・ 県民斉しく「雛まもる親烏」の如き尊き御姿を拜し奉りませう。(神社資料から)
 【天皇皇后両陛下御親拝記念
【パール判事の言葉
 
不正なる裁判の害悪は原子爆弾の被害よりも著しい
 【建国の碑:二月十一日
 【明治百年記念
伊佐雄志神社 
  御祭神
 
伊佐雄志神社は、昭和20年8月1日の富山大空襲による戦災殉難者、治安の維持と公共の災害防護その他民生安定のため殉職された自衛官、警察官、消防団員、消防署員、郵便局員及び地方功労者の御霊約三千余柱と、更に物故崇敬会員の御霊をお祀り申上げております。


御由緒(沿革)
 大東亜戦争終息30周年を迎えるにあたり、その記念事業として復興御造営奉賛会を結成し、昭和50年8月1日に芽出たく竣工いたしました。
 富山縣護国神社の英霊とともに伊佐雄志神社の御霊も忘れてはならないのであります。

〈神社栞から〉
遺芳館 
  *遺芳館は、遺書こそが英霊の「みこころ」を伝える貴重なものと考え、遺書・手紙・日記などを中心として展示しております。
 ほんの一部でありますが、全ての英霊の「みこころ」として受け止めていただき、英霊の崇高なるご精神を受け継ぐ神聖なる場と考えております。

 拝観時間 午前9時~午後4時

〈神社栞から〉 

*必見の場所。音声案内もあり、御英霊の「みこころ」が我が心に染みる。
 遺書等、整然と展示されており、神社の取組が素晴らしい。

*内容は上の「遺芳館」をクリックして下さい。
慰霊碑等
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。
 【日露戦捷百年記念レリーフ



鳥居前石灯篭台座部分
 【金鵄勲章
磯部富士
噫 ニューギニア

嗚呼 海原よ 大空 に(甲飛の碑)
 つばさの塔】 
嗚呼 トラック諸島

拓魂
支那事變記念
 
第一次世界大戦従軍記念碑
 【馬魂碑
護国神社
   
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