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和歌山縣護國神社 | ||||||||||||||
鎮座地 和歌山県和歌山市一番丁3番地 和歌山城内 御祭神 明治戊辰の役以降、大東亜戦争に至る迄の国難に殉じられた和歌山県出身の神霊36,669柱命 御由緒(沿革) 昭和3年に入り和歌山県招魂社建設期成会が発足、和歌山市より敷地の譲渡をうけて現在地に招魂社が創建された。時に昭和12年6月11日。 昭和14年4月1日 内務省令により和歌山県護國神社と改稱、内務大臣指定神社となる。 同年5月3日 鎮座祭斎行 同20年7月9日 和歌山市大空襲により社務所焼失、社殿は無事。 同22年 社務所元の場所に再建。坪 同28年6月 宗教法人法施行により和歌山県護國神社となる。 同37年5月24日 昭和天皇、皇后陛下御親拝 同62年11月17日 不審火により社殿焼失 同63年5月21日 和歌山県護國神社再建奉賛会発足 平成4年3月29日 竣工奉祝祭斎行 新社殿の概要 鉄筋コンクリート造・流れ造・延面積48.7坪 (本殿4、祝詞殿8.2、拝殿29.5、神饌所、祭器庫各3.5坪) |
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・招魂祭 明治戊辰の役以来、国家のため散華され、靖国神社に合祀された本県出身の戦歿者を祭祀するため、招魂祭が執り行われていた。 その第1回は、明治13年9月24日で、以来、年一回天妃山(和歌山市岡公園内)で明治28年まで続けられたようである。 明治29年以降は、和歌山県尚武会主催の下に、和歌山県知事が祭主となり、和歌山城内砂ノ丸において毎年5月4、5日の両日、臨時祭壇を設けて神式並びに仏式により招魂祭が執行されてきた。 |
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ホームページ : なし | ||||||||||||||
和歌山城の南西、森林に囲まれ静かな佇まいである。 追廻門の一の鳥居から長い参道を歩き神社に着く。一の鳥居、二の鳥居其々の附近に社号標がある。境内手前に慰霊碑群がある。和歌山城を見学してからは、動物園あるいは新裏坂からも裏参道がある。 折角空襲の被害から免れた社殿は、昭和62年に不審火により焼失したそうだが、再建された社殿は、美しく御英霊も安心しておられるであろう。 「名称」であるが、御朱印・栞・和歌山県神社庁等によれば、「和歌山県」であるが、扁額、社号標及び靖国神社のHP等においては「縣」になっている。 戦前と戦後の差であろう。 |
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拝殿等境内施設 | ||||||||||||||
【一の鳥居・社号標】 |
【御朱印】 |
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【二の鳥居・社号標】 |
【三の鳥居・社殿】・社号幟 |
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【遺族会館から見た和歌山城】 |
【天皇・皇后両陛下御親拝紀念碑】 |
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慰霊碑等 | ||||||||||||||
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。 | ||||||||||||||
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