指定護國神社一覧表・参拝記録
山梨縣護國神社
  鎮座地
 山梨県甲府市岩窪町608

御祭神
 西南の役:50柱、日清戦争:568柱、日露戦争:449柱、台湾討伐:55柱、満州事変、上海事変:73柱、支那事変、満州事変:1784柱、大東亜戦争:22068柱で、合計25047柱

御由緒(沿革):
  明治十二年十二月、山梨県神道事務局の発議によって、甲府市太田町公園隣接地に招魂社が建立され、西南の役にて戦没した本県出身者の御神霊を奉斎し、年々盛大に慰霊の祭典が執行された。明治四十一年甲府(第四十九)連隊創設に伴ひ太田町遊亀公園内に招魂堂を再建し、西南の役以来の戦争で戦没した英霊を合祀した。
 昭和十四年に山梨縣護國神社創建会が設立され、昭和十七年十二月七日甲斐の古蹟躑躅ヶ崎の南麓において地鎮祭執行となり、昭和十九年十一月二十八日内務大臣の指定があり、山梨縣護國神社が創建となった。同月二十九日鎮座祭が行はれ、明治聖代以来の戦争、事変等で一死報国の誠を捧げた諸勇士の御神霊を招魂堂より奉還し、同月三十日竣工奉告祭並びに例大祭が執行された。
 昭和二十一年十月十二日社名を山梨宮と変更したが、昭和二十七年十一月十二日再び山梨縣護國神社と改名した。

 昭和二十一年社名を山梨宮と改称した時に合祀した一世の亀鑑、師表と仰がれた民間人八柱は、昭和二十七年境内に摂社山梨宮を創建して祀った。

 又、平成十一年より山梨県出身の殉職自衛官十一柱を合祀している。
    
 ここは平和の杜です。
 このお社は護國神社と言います。
 明治十二年十二月招魂社として甲府市太田町に創建され昭和十九年山梨県民の総意により護國神社と改称しこの地に御遷座されました。

 日本の平和と美しい山河や家族を護るために戦争で尊い生命を捧げられた山梨県出身の約二万五千人余りの方々を、神様としてお祀りしてあります。
 私たちが平和で豊かな生活を送ることが出来るのはこの人達の尊い生命の犠牲のお陰です。

  「ありがとうございます」

 と感謝の心をもってお参りしましょう。
 これからも平和であるとともにご参拝により常識や道徳心を高め勤勉努力して、健康と強い心を養い自らを護り家族を護ることをお祈りしましょう。

                                 山梨縣護國神社
 ホームページ :   https://yamanashikengokokujinjya.wordpress.com/
  武田神社に向かう途上の右側に立派な護國神社参道の石標がある。そして参道に大きな鳥居がある。境内は広く、荘厳で、多くの慰霊碑があり、また、摂社に殉職自衛官が祀られていることに山梨県民の御心に誠に有り難いと感じた。
 この地で祀られている御英霊も安心しておられるであろう。
 残念ながら史実資料館の見学を忘れてしまった。また、慰霊碑の見落としも有るかもしれない。後日伺わねばなるまい。
 境内施設
拝殿
 【御朱印
 【一般道路上の参道案内:武田神社方向との分岐点
鳥居・社号標
 
 【狛犬:慰霊のことば(台座)

 私達は嘗て共に戦い祖国のためにその命を捧げ平和と繁栄の礎となられた英霊に感謝と慰霊の誠を捧げ安らかに神鎮まりますことを祈願いたします
 平成4年5月吉日
  韮崎市軍恩連盟
 
慰霊碑等
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。  
 招魂斎庭
摂社【山梨宮
 戦没者納骨堂
 慰戦没戦友之霊
父の像
愛の燈
傷病軍人之碑
衣第三〇四一部隊 慰霊の碑
豫科練の碑
 硫黄島戦没者慰霊碑
軍神若林東一顕彰碑
山梨県海軍戦没者慰霊碑
 鎮魂 鵄三〇六三部隊戦没者鎮魂之碑
殉職自衛隊員  国防忠魂
二井義勇隊の碑:満蒙開拓青少年義勇軍】 
 
 満蒙開拓青少年義勇隊之碑
 【満蒙同胞殉難慰霊碑
故満鐵本家義勇隊之慰霊碑
護国神社
   
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