指定外護國神社一覧・参拝記録
厩橋護国神社:群馬県前橋市
 
鎮座地
 群馬県前橋市大手町3-13-19 (前橋東照宮境内)

御祭神
  西南の役以来大東亜戦争に至るまでの前橋出身の英霊二三四六柱を奉祀

御由緒(沿革)
 明治10年(1877年)11月24日の創建
 尊い命を捧げらた方たちの御霊を慰め その事跡を後世に伝える役目を担っております。
【社殿】
【社号表】
 
【厩橋招魂祠記
建立場所
 群馬県前橋市大手町3-13-19 厩橋護国神社

趣旨(英霊)
 西南の役の群馬県戦没者慰霊

碑文
 
  明治12年10月
  群馬県令従五位 楫取素彦 撰
  1等編修官従五位 巌谷修  書

【大彰忠碑
  建立場所
 群馬県前橋市大手町3-13-19 厩橋護国神社裏高台

趣旨(英霊)
 4600柱に及ぶ全市戦没者の偉勲を合わせたたえるため

碑文
 国家の有事に際し国防の第一線に立ってその防衛に当り民族の安泰を図ることは国民として最も崇高な使命である。
 今次の太平洋戦争については我々の子々孫々に至るまで深く反省しなければならないところであるが雄々しくも散ったおびただしい英霊の偉勲は永久にたたえらるべきものである。
 かえりみるに明治10年西南戦争に遠く群馬県から従軍した軍人警察官の内 129名が戦死したので県の官民はこのところに厩橋招魂社を設け 永く祭ることとなった その後日清日露等の戦役事変に際し県民の戦没せる者 1677名の多きに達したので前橋市の有志は その功績を伝えるため明治39年ここに彰忠碑を建てた
 爾来あいつぐ戦役事変特に今次大戦の英霊はまことに多数に上り我々はその殉国犠牲の至誠に対し深く感謝の意を捧げるものであるが 惜しくも先の彰忠碑が今次大戦中金属回収のため撤収されたので 前橋市民は重ねてこの厩橋護國神社のほとりに碑を建て永く偉功をたたえ厚く霊を慰めるとともにその遺志をついで ひたすら世界平和と文化国家福祉国家の建設に力を致さんことを誓うものである。
  昭和37年3月  前橋市彰忠碑建設委員会
    【建立の経緯】 (前橋市史による)
* 明治38年12月、日露戦役の大捷を記念して、東照宮付近に公園設置の議が起こり、市会で可決した。
* 尚武会が主体に、日清・日露戦役の戦没者を祀るため、公園内に大彰忠碑建設の議が起こり、明治39年5月竣工。
 県下の戦没者1690名の氏名が刻まれ、碑の頂には、東京美術学校製作(細谷而楽作)の金鵄が飾られた。
* しかしながら、この彰忠碑は、太平洋戦争の金属回収のために撤去・供出された。現在の彰忠碑は昭和37年3月27日に竣工されたもの。
 金鵄は金属回収を免れ、旧のままのものである。

  【明治40年1月刊「前橋繁昌記」】
 前橋市に於ける団体及び個人の日露戦役記念事業の数大小少なからずと雖も、此の彰忠碑建設の如き、実に出色の美事と謂ふべし。碑は日清・北清・日露の三大戦役に従ひ、天晴れ偉勲を千戸に伝ふべき、全県下の忠死将卒の英名を刻みて紀念となせるもの、東京美術学校の考案に成り、銅柱は向町鈴木鋳物店にて鋳造し、其の尖頭に装置せる金鵄は、美術学校の製作たり。燦然たる光輝は、忠死者の勇名と共に、赫々たるべく、彰忠碑の三大文字は大山元帥の揮毫する所、あゝ何等好個の紀念物ならずや。本39年5月凱旋軍人歓迎会の当日を以って除幕式を執行せり、碑銘は陸軍編集横井忠国の撰文にして、自ら執筆せられたるもの。  之が建設費五千円、雑費千円を要したり。
* 明治中興以来兵戦於海外奏大之功績宣揚国威呼八紘有三役廿七・八年三十三年三十七・八年是也、群馬県人従軍者皆与有力焉而其陣歿者合計千六百九十名、前橋市民感其忠烈建碑彰之属銘于全銘曰
  国家有事 義勇奉公 以翼皇運 以顕祖風 済々諸子 克孝克忠 遺芳千歳 永伝厥功
【現彰忠碑建設趣意碑】
 前橋市は昭和29年以来 上川淵 下川淵 芳賀 桂萱東 元総社 総社 南橋 清里の9町村と木瀬 新高尾 城南 玉村各町村の一部と合併した
 旧市域を始め合併各地域にはそれぞれ護國神社 御霊神社 聖霊廟 英霊殿 忠霊塔 平和塔などが設けられ厚く英霊を祭っているが 4600柱に及ぶ全市戦没者の偉勲を合わせたたえるため 彰忠碑建設の議が起こり 全市民の?金と特志者の賛助並びに前橋市の協賛によって完成したものである
 ここに関係者のご芳志と 役職員のご尽力に対し深く感謝する次第である
   題字 靖国神社宮司 筑波藤麿 筆
   とび 原型 細谷而楽遺作 前橋市栄町出身 鋳造 鈴木藤十郎 前橋市向町
   ・明治39年彰忠碑建設の際の製作
     設計 前橋市建設部     施行 大島石材店    造園 永井建設株式会社
   ・昭和37年3月  前橋市彰忠碑建設委員会            組織団体(略) 
【招魂碑】
  建立場所
 群馬県前橋市大手町3-13-19 厩橋護国神社

趣旨(英霊)
 琴平町出征軍人戦没者38柱、戦災者6名の慰霊顕彰

碑文
 
  昭和26年11月23日
     琴平町奉賛会建立
  護国神社宮司 筑波秀麿 書

*裏面に戦没者・戦災者氏名、歿年月日 刻印
【忠烈
  建立場所
 群馬県前橋市大手町3-13-19 厩橋護国神社

趣旨(英霊)
  日清・日露戦役等における戦没者慰霊


碑文
 大正14年5月24日
  前橋市長    建立

 題額:元帥子爵 川村景明 書


 【傷痍之碑
  建立場所
 群馬県前橋市大手町3-13-19 厩橋護国神社

趣旨(英霊)
  大東亜戦争における傷痍軍人の顕彰、戦没者の慰霊


碑文
 我等は過ぐる大戦 事変に際し 戦場において傷痍を受け 或は疾病にかかるなど身をもって現実に戦争の悲惨さを体験しその後苦難の生涯を続けてきた 更に不幸にして戦没した戦友も多く 我等はその霊に対して心から哀悼の意を表するとともに 再び戦禍の起こらないことをこいねがい ひたすら世界恒久の平和を祈念するものである

  昭和54年11月23日

   前橋傷痍軍人会
護國神社
  

   

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