指定外護國神社参拝記録 
横浜市戦没者慰霊塔:神奈川県横浜市
  鎮座地
 神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢西町3-1   三ツ沢公園内

御祭神
 西南戦争以来、第二次世界大戦に至る戦争犠牲者 21,898柱の御霊

御由緒(沿革) 
 昭和28年3月 建立 (神奈川県護国神社予定地)
 平成7年11月、戦後50周年を、迎えて更なる平和をへの願いを込めて改修。

追悼式
 毎年11月1日に慰霊塔前広場で、横浜市戦没者追悼式が行われている。


* 「神奈川県護国神社」は存在しない。
 昭和17年7月、横浜市三ツ沢西町に「神奈川縣護國神社」を創建する計画が内務省から許可され、社殿の建設が始まり、昭和18年11月に上棟祭が執り行われた。しかし、鎮座祭目前の昭和20年5月29日の横浜大空襲により、建設中の社殿が焼失してしまい、そのまま終戦を迎えることになった。
 その跡地に本横浜市戦没者慰霊塔が建設された。 しかし、この慰霊塔は、あくまで横浜市のものであり、神奈川県のものではないので、このホームページでは、指定外護國神社の範囲として掲載した。

* 神奈川県としては横浜市港南区に神奈川県戦没者慰霊堂を建設し、県の戦没者の慰霊を行っている。
  この慰霊堂は、県のものなので、護国神社に掲載した。
【慰霊塔、奥に安置室】
【銘板】
 「慰霊等ご案内」 (建立時説明板)
 「この慰霊塔は、西南戦争以来、第二次世界大戦 に至る戦争犠牲者二万余柱の御霊を永年安置する ための慰霊塔であります。
 慰霊塔は、二基の塔と、安置堂その他からなり 昭和二十八年三月、一〇〇〇万円の経費にて建設 されましたが、このうち七〇〇万円は、市民から の募金によったものであります。
 塔は門を象徴しており、向かって左の塔は、高さ 十八米で上部を欠いてあり、下部に「昭和二十年」 の 五文字を浮き出してあります。 これは、今次大戦ではらった大きな犠牲と破壊 を表したものであります。
 また、向かって右の塔は高さ二十五米で新生日本 が雄々しく、将来にむかって発展する姿を表した ものであります。  横浜市」

「恒久平和を願って」 (改修時説明板)
 戦後50周年を迎えて、更なる平和への願いを込めて慰霊塔を改修致しました。
 この慰霊塔は、西南戦争から第二次世界大戦までの戦争犠牲者の慰霊を安置するため、昭和28年3月に建設したもので、左の塔は先の大戦で払った大きな犠牲と破壊を表し、右の塔は新生日本が将来に向かって発展する姿を表しています。
 市民の皆様と共に諸霊のご冥福を心からお祈りし、戦争の悲惨さを忘れることなく、恒久の平和を念じたいと思います。
 横浜市は、21世紀に向かって、世界に開かれた国際都市づくりを進めていますが、ピースメッセンジャー都市として、今後とも積極的に国際交流活動を展開し、相互理解を深め、世界の平和と発展に貢献していきたいと思います。
  平成7年11月1日
     横浜市長
  横浜市営地下鉄ブルーライン「三ツ沢上町」から県道13号線を南下首都高を横切り三ツ沢公園に入る。公園の案内板に従って歩くと高くそびえる塔が目に入る。
 元護國神社跡地に建設されたので各種資料では、神奈川県の慰霊施設と間違っているものもある。
 しかし、なんとなく慰霊の雰囲気のない慰霊塔である。安置堂も尊厳を感じない。
 
各慰霊碑名をクリックして下さい。各碑のページにリンクしています。  
 平和記念塔  
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