指定外護國神社参拝記録 
目黒護國神社:東京都目黒区

 戦没者ほこらひっそり幕 目黒護国神社、管理者なく

 (2008年7月8日 東京新聞夕刊)

 第二次世界大戦前に東京都目黒区が建立した目黒護国神社(目黒区五本木)のほこらや鳥居が、隣接する旧区立守屋教育会館の解体に伴い、撤去された。間もなく更地になるという。台座を含めて高さ約三メートルの小さなほこらには日清戦争以降の戦没者約二千三百柱がまつられていたが、管理する人もいなくなったことなどから、戦後六十年余を経てひっそりと姿を消した。

 神社は住宅地の路地の奥にある。区によると、境内や会館の敷地計約三千三百平方メートルは、台湾日日新報社長を務めた守屋善兵衛氏の遺族から寄贈の申し出を受け、その際の条件を基に区が1941年に神社を建立した。
 政教分離が確立された戦後は、戦没者遺族らでつくる崇敬会が管理していたが、役員が亡くなった2000年度以降、引き継ぐ管理者もなく、会から区への地代の支払いも滞った。御魂(みたま)とされる戦没者名簿も行方不明という。

 05年度、区の外部監査で「区が神社の土地を管理するのは適切でない」と指摘を受け、老朽化で防犯上も問題があることから撤去が決まった。七月から教育会館が解体されるのに先立ち、ほこらや鳥居は五月に撤去され、今は台座の一部などを残すだけだ。

 区の担当者は「戦没者にかかわる場所で思いは複雑。
 他神社への合祀(ごうし)、会員遺族や他団体による管理も模索したが、めどが立たず、やむを得ない」と話す。神社名を彫った石碑は歴史資料として区が保管する。 
鎮座地
 東京都目黒区五本木2-20-17

御祭神
 護国の英霊

御由緒(沿革)
 【撤去されました】・・・左記「新聞記事参照」
 
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