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特攻観音堂:東京都世田谷区 | ||||
鎮座地 東京都世田谷区下馬4-9-4 世田谷観音寺境内 御祭神 太平洋戦争に於て、特攻作戦に志願して若き命を捧げた ・特攻隊員 、陸軍2244柱、海軍4174柱、合計6418柱の英霊 ・陸軍:航空 1355柱、 空挺・降下 615柱、 海上挺進 265柱、 戦車: 9柱 計 2244柱 ・海軍:航空 2548柱、 水中(特潜) 437柱、 水中(回天) 104柱、 水上(震洋) 1085柱 ・計4,174柱 *(門前の世田谷区教育委員会の案内板) 特攻観音堂は、国のため若き命を捧げた特攻隊員4615柱の英霊の安息所とし・・・(英霊の柱数が異なる) 御由緒(沿革) 昭和28年7月12日に護国寺から世田谷観音世田谷観音寺に遷座、祈願を目的とする観音堂とは別に、戦歿者之冥福を祈る特攻観音堂を別途建立すべきと決心、譲り受けた旧華頂宮邸の持仏堂を移築、昭和31年5月18日落慶法要が営まれた。これを機に爾後毎月18日が月例法要の日となり観音寺主催による法要が今日まで続いている。 特攻平和観音のお姿は、法隆寺夢違観音を模しており(向かって右が陸軍、左が海軍の特攻戦死者の霊名録が像の胎内に納められている)、厨子の扉には宮内庁から許され頂いた菊のご紋章が輝いている。 法要 参拝:午後2時より約30分 直会:法要後~3時半ごろ迄 |
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【石碑】 |
【扁額】 |
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【堂内:平和観音】 |
【世界平和の礎碑】 (元内閣総理大臣 吉田茂) |
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特別攻撃隊之の頌 我が国が存亡をかけた大東亜戦争においては、開戦当初から生還を期すことのない特攻作戦が決行された。 弱冠17,8歳から30歳代までの勇士が、肉親への愛着を断ち切り洋々たるべき人生を捨てて、空に、海に、陸に、決然として肉弾攻撃を敢行し、偉大なる戦果を挙げ、ことごとく散華された。その数およそ6千柱、壮烈無比なこの攻撃は敵の心胆を寒からしめ、国民はひとしくその純忠に感泣した。 特別攻撃隊の戦闘は、真に至高至純の愛国心の発露として国民の胸奥に生き続け、また世界の人々に強い感銘を与え、我が国永遠の平和と発展の礎となっている。 ここに心から愛惜の情をこめて特別攻撃隊の諸資料をこの遊就館に収め、その精神と偉業とを後世に伝える。 昭和60年12月8日 特別攻撃隊慰霊顕彰会 会長 竹田恒徳 |
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碑 | ||||
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神州不滅特別攻撃隊之碑 | 天山隊之碑 | |||
あゝ特攻碑 | ||||
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