指定外護國神社一覧・参拝記録
小手指神社 : 埼玉県所沢市
  鎮座地
 埼玉県所沢市小手指元町3-28-44 北野天神社
御祭神
 日清日露戦役から大東亜戦争における戦没者を祀る
御由緒(沿革)
(神社前案内板)
 この社は日清日露の両戦役から終戦に至るまでの戰に参戦し祖国の尊い英霊となられた方々を祀った社です。
 毎年4月十五日には(北中北越地区を含む)北野上新井西所沢地区の関係者により厳かに慰霊祭が執行されております。
招魂会(おぎたまかい)解散の経緯について
 この神社は、元豊岡の陸軍航空士官学校酬部台に国の安泰と戦勝を祈願するため祀られた神社で、北野天神社宮司が毎年厳粛に祭典を行ってまいりましたが、昭和二十年の敗戦による混乱をさけるため、急遽当神社に遷座されたものです。
 終戦の混乱より落ち着きを取り戻した昭和三〇年頃より当学校の校長を始め幹部達12・3名が寄り寄りに、北野天神社の社務所に集り前途を話し合って、結局慰霊祭を行うことを決め、同時に当所小手指・北中・北打越地区の戦没者を合祀し盛大な祭典を行ったのです。即ち、東久邇宮殿下のご臨席を賜わり、音楽隊の吹奏を行い、それに関する歌まで出来るなどして、毎年四月十五日に慰霊祭が営まれました。
 しかし、昭和40年十一月三日に元陸軍士官学校の校長等の手により軍関係のみ碑となって奈良の航空自衛隊幹部候補生学校に合葬される異となりました。そこで残された英霊を祀るため、北野天神社及び六所神社の惣代役員また区長・遺族等が旧公民館に集り招魂会を結成し、その初代会長に川口重雄氏を選出し、従来通り四月十五日を例祭とし決め、以来半世紀に亘り、慰霊祭を営んで参りました。当初は大変多くの遺族の方々が参列する程でしたが、時の流れと共に遺族の高齢化・減少も甚だしく、此処に招魂会を解散し、その基金を神社改修に充て、向後は神社境内の摂末社並の祭典を北野天神社の総代役員で執行することとなりました。
  平成二十六年十二月吉日
   北野天神社宮司 栗原彌生子 他3名
  

   

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