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乃木神社(香川県善通寺) | |||||
鎮座地 | |||||
香川県善通寺市文京町4-5 | |||||
御祭神 | |||||
乃木希典(のぎまれすけ)・静子 夫妻 (明治天皇の御大葬日(1912年)に殉死0 | |||||
御由緒(沿革) | |||||
乃木神社は、乃木将軍の死後、その生きざまに感動して多くの人々が乃木邸を訪れたことから、夫妻の霊を慰める「乃木会」が結成されたことに始まります。東京など数ヶ所に乃木将軍にゆかりのある神社がつくられ、善通寺には昭和10年(1935年)に造営されました。 社殿は装飾を抑えた簡素なデザインになっています。これは従来の伝統的な神社建築とは異なるところがあるため、大工でなく建築家のデザインによるものではないか、ともいわれています。 |
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ホームページ | 善通寺市HP(善通寺市デジタルミュージアム) |
駅前の片原町通りを西に進むと、四国学院大学西側の大通りに面して緑の森が見えます。讃岐宮(香川県護国神社)の右隣に乃木神社があります。讃岐宮の社号標を中心に、向かって右手、神明型というシンプルな形の鳥居が立っているのが乃木神社です。 清閑な境内でした。その右脇に「工兵第51聯隊の正門が史跡として保存されていました。 手水鉢には、「夜女の子の姿が浮かび上がる」と言う神霊スポットになっているとか? *国文化財の乃木神社旧社務所が全焼/善通寺(四国新聞社・香川版 2014.12.11) 10日午前0時30分ごろ、香川県善通寺市文京町4丁目の乃木神社境内にある旧社務所から出火、木造平屋約130平方メートルを全焼した。火は約1時間半後に消し止められ、けが人や本殿などへの類焼はなかった。同神社は国の登録有形文化財になっている。 乃木神社や善通寺署によると、旧社務所は20年以上倉庫として使用。中には書類や布団などが入っていたらしい。扉は施錠され、ここ数年は開けたことがないという。電気も通っておらず、同署が出火原因を調べている。 乃木神社は、旧陸軍第11師団長を務めた乃木希典大将をまつっている。1937年の建築で、2002年に本殿や旧社務所などが国の登録有形文化財になった。 |
境内施設 | ||||
【社号標】 | 【拝殿】 | 【鳥居】 | ||
【拝殿内:乃木大将の写真】 | 【本殿】 | 【手水舎】 | ||
【香川県護國神社からの入口】 | 【讃岐宮社号標:乃木神社も含まれている】 | |||
乃木神社は、明治時代に活躍した軍人であり明治天皇の崩御の際に殉死した乃木希典を祀った神社。 日本国内に複数の乃木神社がある。 乃木の出身地の下関市、乃木夫妻が自刃した邸宅のある港区、別邸のあった那須塩原市、明治天皇陵麓の京都、師団長として勤務した善通寺など、乃木ゆかりの地に多い。 |
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慰霊碑等 | ||||
【軍馬忠魂碑】 | ||||
「碑文」 建碑趣意 武勲赫々タル皇軍将兵 炎熱酷寒ヲ冒シ 越ヘ重責ヲ荷ヒテ大陸 ???駆驅シ無言ノ偉勲 皇軍軍馬ノ臣忠臣順? 愛スベク眞ニ謝スベキモノナリ 今ヤ興亜ノ聖?者? 建設ノ?ヲ歩ヲ進ムル 礎石トシテ戦場ニ斃レシ軍馬ノ忠魂ヲ鎮祭シ其ノ勲功ヲ永ク伝ヘ以テ其ノ霊ヲ慰メ 國下各部隊? 有志相諮リ茲ニ聖地?? 軍馬忠魂碑を建立スル 昭和十五年一月 善通寺第十一師団 (碑文は風化と痛みで読み取れない部分があるが、趣旨は理解できる) |
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【拓魂】 | 「碑文」 ぼくは満州へ行きます 僕は大陸の土となります 昭和18年の秋 郷土香川をあとに ??玄界灘を渡って行った少年たちがいた その数 百八十名 彼らはひたすら 五族協和と ????建設に若き血潮を燃やした 昭和二十年八月九日未明 ??という極限の中で 彼らの多くが殉難し 大陸の土と化した ??の歳月は流れた ??の前には 一輪の花もない ぼくたちの名は ??満州開拓青少年義勇軍香川中隊 過ぎし日 広野の路を共に踏み ??夕陽の?江で 日の丸と五色の旗の空のもと 青春の火花を散らした 永くその拓友の霊魂 とこしえに安らかなれ 昭和五十二年三月六日 満州開拓青年義勇隊嫩江訓練所 河原中隊生存者 建立 *「満州とシベリヤで殉難した拓友たち 36名の英霊のお名前が刻まれている」 |
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【聖諭】 | 「碑表文」 一 軍人ハ忠節を尽くすを本分とすへし。 一 軍人ハ礼儀を正きすへし。 一 軍人ハ武勇を尚ふへし。 一 軍人ハ信義を重んすへし。 一 軍人ハ質素を旨とすへし。 「碑裏文」 兵学道場 昭和7年12月軍営内外の浄化事業に?・・・・?作業を終り我等一同此清域に起居し一意 聖諭を奉祭し以て?・・・・・・? 奉載碑建設 昭和8年11月10日 ??10周年記念日 起工 昭和8年12月18日 當隊?城記念日 竣工 |
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【旧工兵第11聯隊門・工兵隊碑】 | ||||
「工兵隊碑文」:工兵隊の歴史 1.連隊創立:工兵第11聯隊明治29年10月5日広島にて編成同20年善通寺に移転創立 公平第40聯隊昭和14年8月1日善通寺に創立工兵第55聯隊昭和15年8月1日善通寺に創立 1.日露戦争:明治37年5月旅順要塞攻略に参加東鶏山爆破等同38年1月奉天会戦に参加赫々たる偉功を樹て部隊及び個人に対し幾多の感状を授与さる 1.シベリヤ事変:大正9年7月より同10年4月迄シベリヤ出動 1.上海支那事変:昭和7年2月上海事変並に同12年8月支那事変に出動困難なる敵前上陸を決行する等偉大なる戦果を収め数度感状を授与さる 1.満州駐屯:昭和13年10月より20年3月迄ソ満国境警備に任ず 1.大東亜戦争:昭和20年4月より四国防衛のため高知湾岸の防備に就く工兵第40聯隊は昭和14年8月より中支方面にありて諸作戦を遂行工兵第55聯隊は昭和15年8月よりビルマ方面にありて南方進攻作戦を決行 1.復員解散:昭和20年8月15日終戦の詔勅下り同年8月31日復員解散を命ぜられ同年9月11日涙を呑んで解散創立以来49年の赫々たる偉勲に輝く工兵第11聯隊の光輝ある歴史を閉づ工兵第40聯隊は昭和21年6月7日復員完結工兵第55聯隊は昭和22年3月20日復員完結 1.祈念碑建立:当聯隊創立以来護国の英霊の偉勲と諸先輩の功績を偲び茲に戦友相議り陸上自衛隊第109施設大隊の協力により兵営跡に記念の碑を建立し誇り高き工兵精神を永遠に伝えんとす 昭和46年11月 善工会 |
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【工兵隊関連の碑】 | * 工兵隊碑移設記念碑 (裏面)善工会による経緯等 * 日支事変・太平洋戦争 戦没者慰霊碑 (裏面)平成8年9月吉日 旧工兵第11聯隊・善工会 建立 * 戦没将士銘碑 (裏面)西部第37部隊 招魂社合祀について * 勅諭下賜50年記念 (裏面)日露戦役戦没者名 工兵第11大隊 |
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【陣歿 軍?記念碑】 | 【碑群】 | 【?】 | ||
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