特別参拝一覧
浜空神社(神奈川)
鎮座地
 横浜市金沢区富岡東二―九  富岡総合公園
 しかし、今後の維持管理のため。平成20年8月、追浜「雷神社」に移築。現在は、跡地に「鎮魂碑」を建立。

御祭神
 海軍全飛行艇隊の戦没者並びに殉職者約二千柱の御霊

御由緒(沿革)
 「浜空神社の由来碑」参照

 今回は、浜空神社の跡地を参拝した。
 追浜の雷神社に鎮座する浜空神社については、参拝後記録する。

【鎮魂】
【碑】 【碑全景】 【碑側面】
「浜空神社の碑」
 此処に横濱海軍航空隊の戦没者、物故者二千余柱の英霊をお祀りしていた「濱空神社」がありました。 名称は、古事記の「石楠船神」又の名「天鳥船」に因み、鳥は水鳥のように速く進むという意味の「船神」に由来する ものです。
 昭和十一年十月一日、この地に我が国における飛行艇部隊の本部として横濱海軍航空隊が開隊され、以来、「九七式大艇」 や昭和十七年には世界最優秀艇と謳われた「二式大艇」が開発され、隊員は日夜猛訓練を続け、先の大戦におきましては華々しい戦果を挙げ、又の多くの隊員が祖国のために散華されました。
 毎年四月と前線部隊がつらぎ島で玉砕された八月を記念して生存隊員並びに関係各位により、濱空神社で慰霊祭を行い、 英霊に対し、鎮魂と慰霊の誠を捧げて参りましたが、戦後六十三年を閲し神社の社屋の老朽化と境内の清掃などの維持管 理に当たる世話人の老齢化により、誠に残念ではありますが濱空神社を今後も維持管理することが不 可能となりましたので、 平成二十年四月六日の春の慰霊祭を最後に神社の社屋は追浜本町雷神社に移築して今後の維持管理をお願いし、神社 の跡地にこの石碑を建立することになりました。
 石碑正面の記号は、飛行艇の記号に音楽の終止符を織り込み「休める飛行艇」を意味する濱空会のバッジです。 此処に謹んで英霊に対して鎮魂の誠を捧げ碑文を賦します。
   平成二十年八月吉日
    遷座先横須賀市追浜本町1-9 雷神社
         世話人代表 加藤亀雄
【浜空神社の由来】
【由来碑】 【神社跡と由来碑等】 【碑文】
「浜空神社の由来」(碑文)
 昭和十一年十月一日、飛行艇隊の主力として、横浜海軍航空隊が当地に開設された。その守護神として造営されたのがこの浜空神社である。昭和二十年八月十五日、大東亜戦争終結後、当航空隊跡地は横浜市富岡総合公園として生れ変ったのである。
 浜空会では、特に願い出て、戦没者の鎮魂と恒久平和を祈念して、浜空神社の修復復興をはかり、全海軍飛行艇隊の戦没者殉職者、約二千柱の御霊を合祀した。  横浜航空隊は浜空神社を中心とした広大な陸上の敷地と現在埋立てられた根岸湾水上の飛行艇発着場を専有していた。隊員約一千名、大型飛行艇二十四機を有する海軍最大の飛行艇専門航空隊として、その威容を誇ったものである。今なお隊門附近の桜並木と飛行艇大格納庫が当時を偲ぶ面影を残し、訪れる者に静かに語りかけてくれる。時局の推移に伴い横浜航空隊から新たに東港航空隊が分立した。
 昭和十六年十二月八日大東亜戦争勃発するや、この両隊は直ちに第一線に出動した。引続き第十四航空隊対潜専門部隊輸送教育等各精鋭飛行艇隊が、横浜空を母体として誕生し第一線に、又後方に配備され、その強大な航続力を発揮して、洋上大遠距離の哨戒・攻撃・輸送・救出・作戦等を展開し、ハワイ・印度・アリュウシャン・豪州・ソロモンにわたる広大な戦域を駆け巡って、勇戦奮闘した。作戦上部隊名を八〇一空(横浜)、八五一空(東港)、八〇二空(十四空)、九〇一空(対潜)等に変更し、戦争終期には兵力集中の為、詫間航空隊に全飛行艇隊を集結して、沖縄攻防戦に死闘を演じ、満身創痍全力を尽し果たして、戦の幕を閉じたのである。
 中でも横浜航空隊はソロモン最前線のツラギに進攻作戦中、強力な敵の反撃をうけて、昭和十七年八月、宮崎司令官以下三三八名が壮烈な玉砕を遂げたのである。 
 富岡のこの地は、かくの如く誇りある海軍飛行艇部隊発祥の歴史をもっているのである。この事実を永く後世に語り継がんが為、ここに記念碑を建立する次第である。
   昭和63年1月
    海軍飛行隊会 建立
【浜空の碑】
【碑】 【碑全景】 【碑側面】
碑文(表)
 題 浜空
  大鵬渡海奏奇功  離島守防意気隆  衆寡難勝嗟惨々  至誠不抜憶濱空
    昭和46年10月21日
     ソロモン、ガブツ島に於て
       草鹿任一 
      
碑文(裏)
 この地に原隊を有せし飛行艇隊元横濱海軍航空隊は昭和十七年八月七日未明南太平洋ソロモン群島ツラギに於いて米軍の反攻上陸を受け二昼夜にわたる死闘の末 宮崎重敏司令外五百余名全員玉砕せりこれらの人々の冥福と恒久平和を祈念してこの碑を建立す
    昭和六十一年四月吉日
【桜の由来碑】
【碑】 【碑群:中央の碑】 【桜並木】
「桜の由来」
 この桜は昭和11年10月横浜海軍航空隊がこの地に開隊された時 隊員の手で植樹され 大切に育てられたものである。

   年々歳々花変らねど 征きて還らぬ 戦友多かりき

*浜空神社の跡地周辺は素晴らしい桜並木である。
【その他の碑】
【社号標:浜空神社跡地前】 【社号標:参道入口】 【手水舎】
【周辺】
【道路から見た神社跡地】 【公園:航空隊隊門】 【隊門表札】
~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
特別神社一覧

inserted by FC2 system