軍人祭神神社参拝記録
東郷神社(埼玉)
鎮座地
 埼玉県飯能市坂石580 東郷公園内 (秩父御嶽神社境内)
御祭神
 東郷平八郎元帥
御由緒(沿革)
 吾野に御嶽神社を創立した鴨下清八翁は、大正14年に東郷元帥の銅像をその境内に建て、東郷元帥が昭和9年5月に亡くなるや、翌10年4月17日に東郷神社を銅像の近くに建立した。
 東郷公園創始者鴨下清八氏が元帥の御心をたいし、緑も深きこの場所を鎮座地と選び、生前の元帥の功績を讃え、平和の神と仰ぎその御霊をお祀りしました。
 日露戦争日本海海戦大勝の日にちなみ、5月27日を例大祭として、毎年、世界と平和の安泰を祈願しています。
*境内に軍艦三笠の被弾した甲板の一部・ロシア軍の機雷・砲弾・野砲などがある。

*明治38年5月30日 東郷聯合艦隊司令長官に賜りし勅語  (神社拝殿)
 聯合艦隊は敵艦を朝鮮海峡に邀撃し奮闘数日 遂に之を撃滅して空前の偉功を奉したり 朕は汝等の忠烈に依り祖宗の神霊に對ふるを得るを懌ふに前途は尚遼遠なり 汝等愈よ奮闘して以て戦果を全うせよ
 元帥海軍大将大勲位伯爵東郷平八郎謹書

 東郷公園は広くて秋の紅葉の時は素晴らしい彩りを楽しめそう。しかし、東郷神社については、残念ながら維持整備がなされていない。原宿の東郷神社が荘厳で東郷元帥を祀るに相応しい立派な神社であるが、ここの東郷神社の状態は、東郷元帥が嘆いているのではないか?

境内施設
【東郷神社拝殿】
【鳥居:参道は急階段】 【本殿】 【拝殿内:賜った勅語】】
 
慰霊碑等
【東郷元帥銅像】

左:各員一層奮励努力、右:皇国興廃在此一戦
【除幕式当日の写真】 【横から見た銅像】 【元帥御手植の松】

2代目:実生の発芽
 当山開祖 鴨下清八氏は、世界の名将とされた東郷元帥の武勲と威徳を後世に伝えるべく、「皇国興廃在比一戦」との名言になぞらえ一戦を一銭とし毎日一銭づつ蓄える一銭貯金を断行し、元帥の銅像建設を志しました。
 元帥邸をおとずれること八十余回。元帥は、我が生前の銅像建立は断じて辞退するとのことでしたが、氏の誠意に打たれ、ついに承諾されました。
 氏は大正14年4月17日、元帥の望まれるままの正装をしたお姿の銅像を建立されました。
 除幕式当日には、元帥自ら松崎海軍大臣代理、小笠原長生中将、堀内信水中将らを従えられ、小笠原中将に命じられ除幕されました。他に例のない唯一の生身銅像と称せられる所以です。
~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
【砲弾と敷設水雷】

水雷:旅順港布設


砲弾:バルチック艦隊主砲
 右の砲弾は日露戦争日本海海戦の時、ロシア軍バルチック艦隊より発射された主砲の巨弾で、日本海軍はこのために苦戦をしいられました。左の球形のものは布設水雷と云い、旅順港口に多数布設され、日本海軍の入港を阻止しました。戦後、日本軍が掃海し、引き上げたものを海軍省より下賜されました。
~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
【弾痕の三笠甲板】
 日露戦争を決定づけたのは、明治38年5月27日の日本海海戦でした。ロシア軍がウラジオ港に向けて航行させた主力バルチック艦隊を撃滅すべく、東郷司令長官ひきいる聯合艦隊は日本海に待機しました。
 「敵艦見ゆとの報に接し、聯合艦隊は直ちに出動。之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し」の第一報に続き「皇国興廃在比一戦各員一層奮励努力」Z信号とともに海戦が開始されました。激戦の結果、敵艦38隻のうち逃亡3隻に過ぎず、日本軍が大勝しました。
 このとき、東郷長官の乗る旗艦三笠は、ロシア軍の集中砲火をあび、甲板には蜂の巣状の弾痕を残しました。 展示のものは、開園時に海軍省より下賜された旗艦三笠の甲板の一部です。
(東郷元帥銅像の脇にある)
~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
【ロシア製3インチ野砲(1901年製)と至誠館】
明治38年満州の荒野において、ロシア軍新鋭の野砲のために日本陸軍は難戦苦闘しました。
日本軍の野砲は発射と同時に砲車が後退し命中率を欠きましたが、ロシア軍の野砲は砲身が自動的に後退し、使用も簡易で命中率も優秀でした。
当山の東郷神社に陸軍省から下賜されましたが、大東亜戦争の後、付属部品の盗難があったのが残念です。
野砲が納められている建築物は至誠館と云い、東郷元帥来山のおり、ご休憩されました。

(至誠館は、東郷神社の脇にある)
~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
【忠魂碑】 【明治天皇御製碑:日本海海戦大捷記念】 【日露戦役紀念碑】
管理神社(秩父御岳神社)
【扁額】 【本殿】 【御朱印】
 秩父御岳神社は当山開祖の鴨下清八氏が明治28年信州木曽御岳神社の御分霊を勧請し、当所にお祀りしたことにより始まります。
 この拝殿にてお参りするとき、祈りが本山の神々にこだまするようにと、木曽の御嶽山を遙拝する向きに後造営されました。
 毎年、7月9日に世界平和と講中信徒の安全祈願祭が執り行われています。現在の社殿は平成10年の開山百周年記念事業で、新しく建てなおされたものです。
~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
【公園(秩父御嶽神社)入口】 【鳥居上の扁額】 【栞】
【参道入口】 【手水舎】 【参道途中の狛犬・鳥居】
【左に砲弾、正面に手水舎、右が参道】 【分岐点】 【公園内地図】
【頂上までの階段:368段】

本殿遙拝所

階段途中

上から下り階段を見る
~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
【祈祷所】
~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~  ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
【乃木神社】 【乃木将軍銅像】
乃木将軍は萩出身の陸軍軍人。日露戦争時、難攻不落といわrた旅順の203高地を攻略しました。
質素倹約を旨とし、農将としても名高く、明治天皇の大喪の日の殉死はあまりにも有名です。
「農は国も本なり」との信念にも篤かった当山開祖の鴨下清八氏は、将軍に師事するがごとく農業、養蚕業にも力を尽くし、昭和4年11月24日、人々の模範となるよう、この地に将軍の銅像を建立しました。
 乃木希典(1949.11.11~1912.9.13)

*乃木神社については不明
軍人祭神神社一覧表

inserted by FC2 system