軍人祭神神社一覧・参拝記録
東郷神社:東京都渋谷区
鎮座地
 東京都渋谷区神宮前 1-5-3    (JR原宿駅から徒歩3分)

御祭神
 東郷平八郎命 元帥海軍大将従一位 大勲位功一級侯爵

御由緒(栞から)
 昭和9年日本の偉大な世界的英雄が天寿を全うされるや「至誠(まごころ)は神に通じる」とその一生を貫かれた御徳を長く後世に伝えて顕彰するため、神社にお祀りして ほしいとの要望と献金が全国各地から海軍省に届き、この熱意に応えて時の大角海軍大臣は各界の識者にはかり、財団法人東郷元帥記念会を設立、全国民に呼びかけて国民からの 浄財によって神社を創建することになりました。
 御鎮座地は、明治神宮に近い元鳥取藩主池田侯爵邸を選び、昭和12年9月に地鎮祭、同15年5月27日(日本海海戦で完勝した日・ 当時海軍記念日)に御鎮座祭が行なわれ、欅と檜素木、神明造檜皮葺の東郷神社が完成しました。
 しかし、東郷神社は昭和19年11月27日と同20年5月25日に米機の爆撃を受け、第二回目の被爆で社殿が焼失しました。
 現在の社殿が完成したのは昭和39年5月で、 神明造りを基調とした近代設計、鉄筋コンクリート平屋建てです。
 東郷神社では、御祭神が日露戦争を勝利に導くことによって日本を救った歴史を伝えるとともに、常に現代、現世の人々の安寧を願い、数多の御霊をお護りしております。

ホームページ : 東郷神社
御祭神 東郷平八郎について(栞から)
 御祭神は、幕末19歳で薩摩藩の海軍に入り明治維新前後の海戦に従事、明治4年(1871)24歳の時にイギリスに留学して ウースター号等で7年間厳しい訓練に耐え、船乗りとしての知識と技術を修め、海軍魂を培って帰国し立派な日本海軍士官となりました。
 以来戦略や国際法の勉強にも励まれ、 巡洋艦浪速の艦長としてハワイがアメリカ合衆国に併合された際(1893)や日清戦争中(1894~1895)の難しい国際問題等を処理し東郷の名は世界的に有名になりました。
 さらに、日露戦争(1904~1905)では聯合艦隊司令長官として三笠艦上に「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」とのZ旗を掲げ、露国のバルチック艦隊を 日本海において撃滅して世界の海戦史上空前絶後の完全な勝利を成し遂げられました。
 この大勝は、わが国を国難から救っただけではなく、当時ロシア等大国の植民地政策の圧力下にあった国々に、 大きな喜びと希望を与えました。
 大正の始めに元帥府に列せられ、大正3年(1914)から7年間東宮御学問所総裁として昭和天皇の御教育の大役を果たし、明治、大正、昭和の三朝に至誠一貫奉仕、国家の重鎮、 まごころの人として、日本だけでなく世界の人々からも英雄「大東郷」と尊敬されるようになりました。
【社号標・鳥居(表参道)】
 
【神池】
 
 【回廊:16枚の絵画展示(代表1枚)】
【境内霊社:海の宮】

海軍・海事・水産関係者および祟敬者の諸霊を合祀奉斎
 慰霊碑等
第1駆逐隊慰霊燈籠(表参道)】
 
(左:第一驅逐隊、右:驅逐艦・神風・野風・波風・沼風)
 第一駆逐隊に所属した戦没者及び戦後の物故者を慰霊するために奉納。

 「赤御影石の副碑」 表面:奉納趣旨、裏面:戦死・物故者560柱氏名刻印。

「第一駆逐隊」
第一駆逐隊は日露戦争直前の明治三十六年(一九〇三 年)我国最初の駆逐隊として編成され 日露戦争に参 加ののち 大正九年迄艦隊第一線で活躍後 一旦 解 隊された  大正十一年(一九二二年)改めて第一駆 逐隊が野風 沼風で編成され 続いて波風 神風が加 わり 昭和初期まで 聨合艦隊の新鋭駆逐隊として活 躍した その後は主に大湊(むつ市)を基地として オホーツク海及び千島列島 カムチャッカ半島沿岸の 漁業保護に尽力その発展に大きな力となった  大東亜戦争では北はアッツ キスカ方面から南は印度洋ジ ャワ方面まで幾多の戦闘に参加 野風 沼風は勇戦空 しく沈没したものの神風 波風は一部損傷を受けたが 最期迄戦い抜き 神風はシンガポールにおいて 波風 は瀬戸内海で終戦を迎えた  この間渡辺保正司令 山下喜義沼風艦長外五百四十名の方々が国に殉じられた  この燈籠は青春を国に捧げ 若くして戦に殉じた 勇敢な戦友と 最後まで海上で戦い抜き 戦後の復興に尽力 物故した乗員の霊を慰め 我が国永遠の平和 を念願して 駆逐艦神風会が 駆逐艦波風会有志及び 司令各艦乗員御遺族ならびに この主旨に賛同の方々の協力をえて建立 奉納したものである
  昭和六十二年六月二十日 
       駆逐艦神風会
水交神社鳥居 
  「水交神社鳥居の由来」
 この鳥居は、もと築地・海軍用地(現在の東京中央卸売市場)の水交社敷地内にあった水交神社の二代目の鳥居です。 水交神社は、日清戦争に際し、海軍の戦勝を祈願し全国から寄せられた神符・護符を奉安し、また同戦役以後の戦没者の霊を合祀するため創建された神社で、その初代の鳥居は戦利品の魚雷で作った異形のものであったため、明治四十四年に神明鳥居に建替えられました。
  水交神社とその鳥居は、関東大震災の災禍をまぬがれ、昭和三年に水交社が芝区栄町(現在の東京タワー北西隣)に移転した際、同地に遷座されました。その后社殿は昭和二十年三月の東京大空襲で焼失しましたが、この鳥居だけは毀損をまぬかれました。
 しかし戦後、東京水交社の建物と共に進駐軍に接収され、その後曲折を経て昭和五十六年、同地に新しくビルが建てられることになったので、鳥居は(財)水交会に返還され、同年六月十五日、由縁深い東郷神社へ奉納されたものであります。
 この鳥居は、半世紀もの間、変転する日本海軍を見つめつづけ、二度の大災禍にも堪えてきたものであります。そして皇族方や海軍大臣以下多くの武官文官、また水交神社で結婚式を挙げた方など、この鳥居をくぐった人々は数えきれません。  

 (明治四十四年十月建立 水交社)
【殉国碑:潜水艦に捧ぐ】
  主碑【殉國】
多大な犠牲をはらった潜水艦の戦時における殉国者の碑。 潜水艦横断面を型どった碑の司令塔部分には、伊号33の実潜望鏡をはめこみ、碑面には「殉国」の二文字のみを刻み、背面に殉国者全員の霊名を封入し、傍らに碑文(と潜水艦のレリーフ)を建てて、昭和33年3月に除幕した。

碑文【潜水艦勇士に捧ぐ】
 太平洋戦争中百二十餘隻の潜水艦と共に戰没された一万餘人の乗員諸君 特殊潜航艇及び 回天決死隊諸君 また諸公試 演練に殉難された諸君 諸君の遺骨は海底深く沈んで之を回収 する途がない しかし それは国難に赴いた諸君の忠誠が そのまま其戰場に在ることを意味する 民族の急 を救うべく戰った犠牲の精神は永えに其処に活きている 
 残された潜水艦関係の吾等は個人と法人と併せて幾千常に諸君の英霊の坐する海底を見 つめている 願わくは日本国民の全部も ありし日の諸君の勇姿と奮戰激闘の光景と護国の 屍となった戰場とを緬想して敬弔の誠を伸ぶると共に 祖国再興の心の糧とすることを祈願し て巳まない
 茲に曽て戰友潜水艦建造関係者外有志一同相計り小碑を東郷神社の靈域に建立して諸君不滅の忠魂に捧ぐ
 昭和三十三年五月二十五日」

【搭載用 魚雷模型】
 旧海軍館(平成四年解体)の庭にあった模型。寸法は実魚雷より小さい。

* 十月二十日に潜水艦殉国碑慰霊祭が行われる。
 【殉國】  【潜水艦勇士に捧ぐ:下部に魚雷模型】
   
【海軍特年兵之碑】 
   十四歳の少年から志願者を採用した海軍特別少年兵(通称特年兵)の殉国碑。
 碑は自然石に碑名を刻んで昭和46年5月16日、高松宮同妃殿下の御台臨を仰いで除幕式が挙行された。

「碑文」海軍特年兵
 あゝ十四才 大日本帝国海軍史上 最年少の勇士である 少年兵より更に二才も若く しかも特例に基ずいたものであったため 特別年少兵 特例年令兵の名があり 特年兵と略称された
 昭和十六年 帝国海軍はその基幹となるべき中堅幹部の養成を目的にこれを創設した
 太平洋戦争の時局下に 純真無垢の児童らが一途な愛国心に燃えて祖国の急に馳せ参じた その数は十七年の一期生三千二百名をはじめ 二期生四千名 三、四期生各五千名 終戦の二十年まで約一万七千二百名におよんだ 横須賀 呉 佐世保 舞鶴の四鎮守府に配属されて活躍した 戦場での健気な勇戦奮闘ぶりは 昭和の白虎隊と評価された だが反面 幼いだけに犠牲者も多く 五千余名が 南溟に或は北辺の海に短い生命を散らした しかし 特年兵の存在は戦後 歴史から忘れられていたため 長い間 幻の白虎隊という数奇な運命をたどっていた このままでは幼くして散った還らぬ友が余りにも可哀想であり その救国の赤誠と犠牲的精神は 日本国民の心に永遠に留め 讃えねばならない 英霊の声に呼び覚まされたかの如く 二十五回目の終戦記念日を迎えた四十五年 俄に特年兵戦没者慰霊碑建立運動が高まった 戦火は消えて 二十六年の長い歳月の後に 多くの人たちのご協力によって碑が こゝ東郷神社の聖域に建立されるに至った そして幻の特年兵はようやく蘇った そのうえ 特年兵たちが 国の母と崇めた皇后陛下の御歌を碑に賜わり母と子の対面の象徴として表わしこゝに刻む
 除幕式には 特年兵にもゆかりの深い高松宮両殿下の御台臨を仰ぐ栄誉に浴した また 全国の生存者が亡き友の冥福を祈るため それぞれ各県の石四十七個を持ち寄り 碑の礎に散りばめた
 吾々は 今は還らぬ幼い戦友の霊を慰め 永遠に安らぎ鎮まらむことを願うと共に 特年兵を顕彰し その真心と功績を後世に伝え 祖国繁栄世界平和を祈願しながら尽力することをこゝに誓う
   昭和四十六年五月十六日
    海軍特年兵生存者一同 建立委員長小塙精春撰文謹書

副碑「あゝ特年兵」  作詞 山口純  作曲 三島秀記
 時代はどんなに変わっても胸にながれる 魂は いついつまでも 咲き香る 真実の平和を 祈りつゝ 燃えた生命よ あゝ 特年兵
 戦争のこわさも その意味も 知らないまゝで 童顔に お国のため の 合言葉 一ずに抱きしめ 散った花 十四才の あゝ 夢哀し  平田青□書」

* 特年会の慰霊祭:四月十五日  
 
護国神社   
   
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