護國神社
護國神社の概要
☆ (靖國神社編:「故郷の護国神社と靖國神社」から)

【護國神社の歴史】
 各護國神社にはそれぞれ歴史がある。同時に靖國神社とともにいくつかの共通項もある。そのおおよその共通項は次の通りである。

 護國神社・靖國神社は明治の御代になってから創建されたものであるが、その信仰は古来日本人の宗教観、祖先観に根ざした伝統的習俗が基礎としてある。祖先や共同体に尽くした人々を神として祀り、同時にその神は子孫やその共同体を守って下さるという信仰がそれである。

 護國神社に限ると次の通りである。
①幕末維新の戦役・国事に殉じた人々を出した各藩では招魂場を設け、その慰霊祭を行った。
②殉国烈士の神霊を篤く祭祀すべきとの明治天皇の聖旨を奉戴し、やがて招魂社として固定する。
③明治7・8年内務省達により官費が支給されるようになり、「官祭招魂社」となる。
④「招魂社は之を護國神社と改称す。昭和14年4月1日施行(昭和13年内務省告示)に基づき、「護國神社」と改称され、内務大臣指定護國神社と指定外護國神社の2種に分類された。指定護國神社は府県社に相当する社格である。指定護國神社は1府県1社を原則としていたが、旧幕藩体制当時の藩領の区分・聯隊区等の関係で2社、3社ある県がある。
⑤大東亜戦争終戦後ミリタリー・シュラインとして占領軍の監視、攻撃を受け、存亡の危機に立たされた。「頌徳神社(千葉縣護國神社)」「櫻山神社(茨城縣護國神社)」の如く「護國神社」という社号さえ変更しなければならなかった苦難の時代を持つ。
⑥神職・遺族・崇敬者は必死の覚悟で御社を守り通し、占領解除後社号は「護國神社」と復称し、国民、県民の崇敬は拡まって行った。
 制度上は靖國神社同様「宗教法人」となり国家・公共の手を離れたが、内実は国家の祭祀、公共の祭祀が斎行されている。

【護國神社の招魂祭祀】
 各護國神社はそれぞれで招魂祭祀しており、靖國神社の分霊ということでは決してない。日本人の神霊観、宗教観では神霊は一つではなく、同じ戦没者の神霊が靖國神社、護國神社、家庭の神棚、祖霊舎と幾つも存在する。

【自衛官合祀】
 招魂合祀は各護國神社独自で斎行しており、自衛官・警察官・消防官などの公務殉職者を合祀している護國神社もある。

【護國神社の祭典】
 英霊奉慰顕彰の祭典が中心であるが、英霊の願いは国家が平和であり、国民県民が幸せであることであるから、祈念祭(作物の豊穣を祈る)新嘗祭(作物の豊穣を感謝する)等の祭典、また初宮、七五三、合格祈願、厄祓、交通安全祈願等の祈願参拝も行っている。

【全國護國神社會】
 旧指定護國神社52社は「全國護國神社會」を組織している。起源は存亡の危機にあった昭和21年の「指定護國神社の宮司會」である。目的は「靖國神社及び全國の護國神社相互の連絡を緊密にし、祭神の奉斎、祭祀の厳修に万全を期すること」である。靖國神社・各護國神社は緊密な協力関係にあり、かつそれぞれが完全に独立している。


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