護國神社
指定護國神社

 国家のために殉難した郷土出身者の御霊(英霊)を祀るための神社。原則として東京都を除く道府県に建立。
 軍人だけでなく軍属、勤労動員で亡くなられた一般市民の方々など戦没者の御霊を御祭神として祀りしている神社です。
 また、大東亜戦争だけではなく、明治維新以降の事変、紛争、日清・日露戦争等における全ての戦没者が御祭神です。

 慶応4年5月、明治天皇のご命令により、京都の東山に「霊山官祭招魂社」(京都霊山護國神社の前身)が創建され、明治維新における勤皇派の志士や戊辰戦争での新政府軍の戦没者の招魂祭が行われことが護國神社(靖国神社を含め)の起源となります。
その後、全国各地に郷土出身戦没者の慰霊顕彰のため招魂社が創建されました。
 しかし、招魂社は正式な神社ではなく、その位置づけは曖昧でした。明治・大正・昭和と事変や戦争による戦没者が増え、全国の招魂社は昭和14年には百数十社が創建されました。
 昭和14年の「招魂社ノ創立ニ關スル件」で、一部の例外を除いて各道府県に1社のみ創立を許可することとし、同年4月1日に施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」で招魂社を護國神社と改称、それまで曖昧だった神社としての制度を明確にしました。その護国神社が「内務省指定護國神社」で「村社」相当の格付けになりました。
 終戦後、GHQにより「神道指令」が発せられ国家との関係が断たれその存続が厳しい状況となりました。対日講和条約締結後、関係者の努力により現在のような立派な姿の神社となりました。

 指定護國神社は全国に52社あります。県によっては数個の指定護國神社のある県もあります。

 終戦時、神奈川縣護國神社、宮崎縣護國神社、熊本縣護國神社の3社は完成していませんでした。
 宮崎懸護國神社、熊本縣護國神社は戦後に創建されました。

 神奈川縣護國神社は創建されず跡地に横浜市戦没者慰霊塔が建てられ、別地に昭和27年、神奈川県戦没者慰霊堂を建立しました
 本HPではこれを郷土の英霊を慰霊する趣旨から指定護國神社に含めて掲載しました。また、跡地に建立された横浜市戦没者慰霊塔は、忠霊塔に含めました。

 また、東京都は靖国神社が創建されているため、護國神社は創建されませんでした。しかし、東京都は、東京都関係戦歿者の慰霊のため、昭和35年、小石川に東京都戦歿者墓苑が建設され、昭和63年全面改修され今日に至っている。本HPにおいては、神奈川県の慰霊堂同様、郷土の英霊を慰霊する趣旨から、この指定護國神社に含めて参拝記録を掲載しています。

  指定護國神社一覧表
桜花の絆
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