著名軍人墓参拝記録
八田與一(烏山頭ダム):台湾・台南市
 
1946年 組合によって八田夫婦のお墓が、建立される。
所在地
  台湾 台南市官田区嘉南里68-2 烏山頭ダム

沿革
 八田技師がダムと嘉南大圳を建設した偉大な功績を称えるため、八田技師のパートナーと現地の農民が出資して銅像を鋳造しました。
 銅像の姿は、作業服を着て、右手をこめかみに当て、左手を足の上において、どのようなダムを造るかをまじめに考える八田技師の姿をイメージしたものです。

 銅像の後ろには八田與一ご夫妻のお墓があります。
 銅像の置かれた場所は、ダムの一番高いところで、ここから、八田技師が一生をかけて成し遂げたダムの綺麗な景色を眺めることができます。

「八田技師の逝去」
 ・1942年、陸軍省より「南方開発派遣要員」としてフィリピン派遣命令
 ・3人の部下と共に、太陽丸に乗船し宇品港出航
 ・5月8日、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、太陽丸沈没。東支那海にて死亡
 ・享年 56才
「八田夫人外代樹の逝去」
 ・1945年、烏山頭ダムの放水路に投身自殺
「八田與一の銅像」
 ・1944年 與一の銅像供出
 ・1945年 與一の銅像発見
【八田與一・外代樹之墓】
【銅像と石川県の徽軫灯篭】
【墓園入口:事件後の為立ち入り禁止】
*産経新聞(2017.8.24)より
 台湾で日本統治時代の神社跡のこま犬が破壊されたり盗まれたりする事件が続いている。
 いずれも4月に日本人技師、八田與一の銅像を損壊した中台統一派の政治団体「中華統一促進党」の所属員が関与した疑いが濃い。

 団体側の論理からは統一・独立と歴史認識をめぐる台湾社会の亀裂が浮かび上がる。(台北 田中靖人)

 台北郊外の小学校で5月末、こま犬をハンマーで壊していた2人組が現行犯逮捕された。
 2人は八田像を損壊した促進党所属の元台北市議、李承竜被告ら。

今月には台北の「円山水神社」跡からこま犬が盗まれ、社の柱に反日的な文言を書いた促進党の所属員が取り調べを受けている。
 李被告は警察の調べに「こま犬は大戦中、日本の軍人の霊を守っていた。学校には不適切だ」と主張。神社に落書きした男も「植民統治者を崇拝している」と批判した。
 小学校は「北投神社」跡に建てられており、円山水神社跡は1990年、土地を管理する市水道事業処の職員有志が再整備した。小学校の校長は「こま犬は学校の守り神で児童の成長の記念。歴史的な文物の意義をねじ曲げられ残念だ」と話した。
 *産経新聞(20170507)より 【台北=田中靖人】
 台湾南部・台南市の烏山頭ダムで日本統治時代の技師、八田與一の銅像が損壊された事件で、像の修復が終わり7日、除幕式が行われた。
 式典には、八田の親族や出身地、金沢市の市長ら日台の関係者ら約50人が出席。 中央通信社によると、台南市の頼清徳市長は「銅像を破壊した人間は台日の友情を破壊しようとしたが、試練を経て台日の感情はさらに良くなった」と述べた。
 銅像の修復は4月26日に終わっていたという。 6日の自由時報(電子版)によると、修復は25年前に製作され台南の奇美博物館で保管されていた複製品の頭部を継ぎ合わせる方法で行われ、約1週間で完成した。
 修復した地元の銅像作家は、元の銅像との誤差は「2%以内」と話しているという。
【八田與一記念公園】
【入口】
 
「現地説明板」
台湾を愛した外国人、八田與一技師を偲ぶため、2009年5月8日、馬英九総統は「八田與一記念公園」の造営を宣言しました。2011年5月8日に公園部分が完成しました。

 嘉南大圳の工事が開始されたのは1920年。烏山頭宿舎及びその関連施設は同年9月に建設が開始され、翌年完成しています。
 宿舎は独立棟、二棟続き、四棟続き、八棟続きの4種類で、合計68棟、234世帯が入居可能でした。

 本公演は2009年4月に造営準備が開始されました。「当時をありのままに伝える」形での開園するため、石川県金沢市に考察に赴き、また日本の建築士等の協力を得ました。


 八田技師は、人生でもっとも充実した時間を嘉南平原の人々にさあ下げてくれました。「苦難を恐れぬ無我の境地」。シラヤ国家風景区處はこの八田技師の精神を追い求め、各方面の協力を得て、故居の復元、本公園の企画、館内施行を完成させることができ、しかも「嘉南大圳之父」に最大の敬意を表すべく、八田技師の命日である5月8日に間に合ったのは幸の至です。
 感謝の念を忘れず、八田技師の心に触れ、この土地に深く根付いた「国境を超えた愛」に触れて頂きたいと心より願っております。
   交通部観光局 2011年5月8日
【八田與一宅】 
  
 独立棟型。八田技師の昇進に合わせて西側に洋間が増築され、書斎とした。八田技師は帰宅後に北側の庭で、工事の計画や進行について思いめぐらせる習慣があり、台湾本島の形をした池に、八田技師の台湾に対する思い入れと関心の深さが現れています。
【外代樹婦人】
【北側の庭:池が台湾本島の形】
【絆の桜】
 
記念公園完成記念(2012年5月8日) 桜は公園工事中で見学不可
 【展示館:展示の一部】

八田技師の足跡が良く分かった
【烏山頭ダム地区】
 【八田技師紀念館】

(中は写真撮影禁止)
【ダム】

農業灌漑用ダム:上空からは珊瑚のように見えるので「珊瑚潭」と呼ばれる。
【殉工碑】
   *「碑文」(正面)
嘉南大圳は其の利澤を蒙むる廣袤の宏いなると其の水源に於ける工式の雄なるとに於て世界に冠たり 従って其工細且微にして施工上幾多の困難に逢著せるも辛楚十年茲に工全く成る
諸子は斯る間に於て不慮の災厄に遭ひ或は風土の病疫に冒され空しく異郷の墳塋に眠る 轉た痛惜に堪へさるなり 雖然諸子は齊しく犠牲的殉工者にして一死克く従業員の志氣を鼓舞し以て此大工を竣ふるを得たり 又偉なりと謂うふへし
噫々彼の淙々たる曽文渓水は此蜿蜒たる長堤に蘊崇して長へに汪々たる碧潭を奉し随時の灌水は滾々環流して盡きさる限り諸子の名も亦不朽なるへし
乃ち茲に地を卜し碑を建て以て諸子を傳ふるの文をなす矣

   昭和五年三月
    烏山頭交友會長 八田與一

*台座部分周囲に
  従業員公傷死歿者名刻印
 ・組合内 ・組合外 ・従業員病死者 ・従業員家族及組合外病死者
 ・事故死歿者組合外 の区分で刻印
*「説明板」
 ダム建設の工事中、取水口トンネル落盤事故等で134人の犠牲者や病気で亡くなった従業員のため立てられました。慰霊碑の正面には八田技師が書いた慰霊文があり、その他の三面には八田技師の強い主張により台湾人、日本人を一切差別する事なく、亡くなった順番で一人ひとりの名前が刻まれた。
 八田技師は軍人ではありません。
 しかし、軍命令によるフィリピンへの派遣途上に乗船していた艦が米軍に撃沈され亡くなられました。又その功績は日本人の誇りでもあります。
 従って、敬意を表して戦没者の慰霊に含めております。
軍人墓地
   
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