山本五十六之墓(新潟県) | ||||||||
所在地 新潟県長岡市稽古町1636 長興寺 沿革(案内板) 「山本家の墓」 長岡藩家老職山本家は、武田信玄の軍師山本勘助の血脈。代々藩主牧野氏に仕え、治政、文政に尽くした。 特に老迂斎精義は、名家老と称賛され、歴代の藩主を五十年にわたってよく助けた。幕末、帯刀義路は、北越戊辰戦争で大隊長として奮戦。会津飯寺で痛恨の死を遂げた。 山本五十六元帥は、旧長岡藩士高野家から山本家を継いだ。はやくから航空機の重要性を説き、連合艦隊司令長官として、近代戦を指揮したが、昭和18年4月18日、南冥に散華した。 長岡市教育委員会 東京都多磨霊園の「山本五十六之墓」 |
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【山本家の墓地全景:中央に五十六の墓】 |
【墓誌:最左翼に「五十六 昭和18年4月18日於南太平洋戦死享年60歳」 「大義院殿忠長陵大居士」と刻印) |
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