陸軍墓地参拝記録
久留米陸軍墓地(福岡県)
所在地
 福岡県久留米市野中町1-8 競輪場隣

沿革
 敗戦直後:3642坪  現状:忠霊塔  第12師団の墓地
 管理は久留米市
 祭祀:5月 遺族会
 平成22年3月 改修

*個人墓、合葬碑なし
*ドイツ兵俘虜慰霊碑 1基 (忠霊塔敷地参道手前右側)

*現在、競輪場の柵が出来、忠霊塔を参拝できない。競輪場の入口に行き、参拝に来た旨を話し、入れてもらった。可笑しな話だ。たまたま競輪場が開いていたので入れたが、休日だと参拝できない。

「久留米市よ、どうなっているの!戦没者の慰霊参拝が出来ないなんて!」
由来(説明板)
1.等の高さ17m「忠霊塔」の文字は渡辺中将の揮毫である。
2.昭和14年7月着工
 2年9か月の歳月、25万円の巨費延べ11万2千名の銃後赤誠の勤労奉仕により完成した。
3.昭和16年4月完成
 酒井久留米師団長、志岐奉賛会長、本間福岡、生悦住佐賀両県知事が祭主となり、石橋久留米市長始め関係者8千余の参加を得て竣工式および鎮魂式が盛大に執り行われた。
4.建設奉賛会長志岐豊中将、久留米在郷軍人連合分会長高柳安太郎中尉並びに直接工事の指導に献身された中山岩吉大尉の奮闘は銃後赤誠の奉仕とともに特筆すべき業績である。
 忠魂永久に眠るこの丘に尊い犠牲を偲びいつまでもいつまでもその武勲を称えましょう。  久留米市長よ、実践して下さい!
 【これは残酷!競輪場の柵が出来、参拝できず!】】
 
 【題額】
 
【墓地標識:忠霊鎮護之地】
 
【参道:ここまでは素晴らしい!】
 【平和祈念の碑】 

 過去の幾多の戦争は、多くの尊い生命を奪い、遺された人々に消えることのない深い悲しみをもたらしました。

 「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない」

 この決意を、私たち一人ひとりが心に刻み、後の世代に引き継いでいかなければなりません。
 久留米市は、戦歿者慰霊祭をはじめとした取り組みを通じて、広く平和の尊さを繋げていくとともに、すべての市民が心豊かに暮らせる地域社会づくりを進めていきます。
 ここに、あらためて戦没者に対し、哀悼の意を表し、恒久の平和を祈念いたします。
 平成22年3月
   久留米市長 ?(風化して読めず)
【ドイツ兵俘虜慰霊碑】 
   第1次世界大戦に参戦した我が国は、中国青島のドイツの要塞を攻め落とし、多数のドイツ兵を俘虜としました。彼らを収容するため、大正3年10月から同9年3月まで、久留米に俘虜収容所が置かれました。多い時には1319人を収容し、っ残酷12か所の収容所で最大でした。
 5年余りの収容期間に、戦場での傷がもとで2名、病気などで9名、合せて11名が亡くなりました。これらの死者の追悼のため、俘虜たちは帰国に|際し、この慰謡碑を建立しました。
 碑の正面には収容期間を示す西暦と剣が、両側面には死者の姓が記されます。
 背面にけドイツ語で「運命の力により剣を奪われ、捕らわれの人となり、黄泉の国に去った汝ら」、台座には「故郷はるか遠く逝った同志たちの思い出のために」と鎮魂の詩が刻まれています。
 俘虜は長い拘留生活のなかでも、音楽会・作品展示会・スポーツ大会などを通じ、市民との交流を深め、近代の久留米の芸術・文化や市民生活に大きな影響を与えています。
 また、ドイツの進んだ科学技術は後に久留米の基幹産業となるゴム産業の技術革新におおきな貢献をしています。久留米の歴史にドイツ兵俘虜は大きな足跡を残すものです。
【慰霊碑】
 
【慰霊碑の文字】

 
軍人墓地
   
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