軍人墓地
軍人墓地の概要

  墓地の概要等についての海軍墓地資料は稀少であるので、陸軍墓地を主体として記述した。(特に経緯、根拠等)
 勿論、海軍墓地を含めて参拝することは当然であるし、海軍墓地は少ないが、綺麗に整備されている墓地が多いようだ。

Ⅰ陸軍軍墓地制定の経緯
 陸軍墓地は、徴兵制とほぼ同時に設定され、1945年までは軍が管理していた。
 軍隊に在職中に死亡すると、陸軍墓地に埋葬された。その規定が制定されたのは明治6年(1973年)12月である。

 明治3年11月13日(新暦:1871年1月3日)、徴兵規則が制定され、各府藩県より1万石につき5人を徴兵することを定めた。続いて翌 明治4年2月13日(新暦:1871年4月2日)には、三藩(薩摩・長州・土佐)の軍が親兵として編成された。
 明治5年11月28日(新暦:1872年12月28日)に徴兵告諭が出され、翌明治6年(1873年)1月10日(新暦)に徴兵令が施行。
 2月下旬約9400名が各鎮台で訓練を受け始めた。
 この時期、出身地から遠く離れた営内で疾病あるいは事故等における俘虜の死亡を迎えたものが相次いだ。魂状況に対応するため埋葬地の設置を必要とした。

 明治4年8月8日、軍務局より本省宛て
 「御親兵など毎年死亡者が出ているが、埋葬地に定まった処はなく、止むを得ず各所に葬送を行っている。これは実に不都合であることは勿論のこと、自ら威霊も安んじ兼ねるところである。・・・」

 明治4年11月には、営内で死没する下士官兵卒が出た場合の対処「御親兵鎮台下士官兵卒死没取扱規則」制定
 別記の特記事項として、埋葬について「埋葬の儀については追って一定の規則を定めるの迄、各隊は五番大隊の規則と同様にすべきこと」とある。
 五番大隊は、支給される埋葬料の階級による振合についても会計局から規則の先例とされていた。
 この1年後、明治5年9月から逐次各鎮台の営所に埋葬地が設定され、その坪数が決定されていく。工事は工兵によって行われた。
 
 (例)明治6年5月27日、「陸軍省第188」布告:「陸軍埋葬之儀今般音羽護国事近傍に相定候条、埋葬之節ハ同寺仁王門ヨリ通行可至候。此旨相達候事。」 
 宛名が、近衛局、諸鎮台、兵学寮であり、在東京部隊・学校全体の陸軍埋葬地だったのだろう。
 「陸軍省第297」で壱万拾四坪と示されている。

*陸軍墓地への埋葬法については、1873年12月25日、「陸軍省第315」で「下士官兵卒埋葬法則」を定めた。

 ・下士官兵卒埋葬一般法則 
 ・陸軍埋葬地ニ葬ルノ法則:
  ①鎮台師管の本・分営等に設けられた埋葬地が「陸軍墓地」と規定
  ②葬法はその埋葬地で従来行われていた神祭又は仏祭とし他の葬法は認められない。
  ③墓標は木柱とし、明治7年の改訂で下士官は6寸角高さ2尺5寸、兵卒5寸高さ2尺5寸とした。
    物価が安く余裕のある場合は石柱も可
  ④遺族らによる燈籠水鉢設置は禁止
 ・陸軍埋葬地無キ処ニ於テ葬ル法則
  ①近傍の社寺に委託して葬り、若干の祭祀を約束した後は社寺の法に従う。
  ②神仏は各人の希望
  ③墓標は陸軍埋葬地に葬る者と同等
 ・親戚ヘ死体引渡シノ法則
  ①斂(レン)後、棺を白布で被って引き渡す

 以降逐次改訂された。
 *明治19年7月24日 陸軍省令甲第34号
  「陸軍隊附下士卒埋葬規則」制定、「下士官兵卒埋葬法則」の廃止
 *明治27年7月27日 陸軍省令第15号
  「陸軍隊附准士官下士卒埋葬規則」と改訂

Ⅱ-1 日清戦争(最初の戦時態勢)
 *明治27年7月17日 「戦時陸軍埋葬規則」(陸軍省令第16号)制定
 *明治28年5月13日 一部改正(陸軍省令第8号)
  ・戦地に於て戦死した者及び戦地での傷痍、疾病に起因して戦地以外で死去した者全てが陸軍埋葬地に埋葬される。
  ・陸軍埋葬地はここに戦没者の埋葬地として大きな役割を持つことになった。
 *明治28年7月26日 陸軍省送乙第2776号
  ・戦地に埋葬した遺骨の火葬と遺骨又は遺髪を還送して陸軍埋葬地に埋葬
  ・大規模な遺骨の還送が行われ陸軍埋葬地に埋葬された

Ⅱ-2 日清講和条約後、台湾割譲
 *明治29年3月12日 部分改正(陸軍省令第2号)
  ・台湾に陸軍埋葬地設置
  ・台湾に駐剳する部隊の軍人軍属には戦時陸軍埋葬規則は適用されない。
 *明治30年8月17日 「陸軍埋葬規則」(陸軍省令第22号) 「陸軍隊附准士官下士卒埋葬規則竝戦時陸軍埋葬規則」廃止
  ・日清戦争の事態を織り込み総合的な埋葬規則の制定
  ・在隊在職陸軍軍人、召集中の在郷軍の死亡した者の埋葬について定めた。
  ・台湾在職者・海外在鎮戍者、将校、准士官、営外居住の下士官兵卒職工軍属は適用外

Ⅲ 日露戦争
 *明治37年5月30日 「戦場掃除及戦死者埋葬規則」(陸達第100号)制定
  ・戦闘激烈で損害も大きく、埋葬規則の規定を超えた。
  ・帝国軍隊所属者の死体は格別に火葬、遺骨を内地に還送。場合により遺骨を戦場に仮葬、遺髪を還送。
  ・還送された遺骨又は遺髪は陸軍埋葬地に葬る。前条火葬の遺骨も他日内地に送還埋葬地に改葬すべき。
  ・日露戦争では追悼の意を込めて旅順に遺骨を納めた大忠霊塔が建設された。
  ・日露戦争後、埋葬地を管理する師団が伺いを提出して陸軍省の承認を得、埋葬地に慰霊用の灯籠、水鉢などが次々に献納されるようになった。
  ・部隊将兵の拠金により戦没将兵合祀の碑が建設されたところもある。

Ⅳ 陸軍墓地規則の制定
 *昭和13年5月5日 「陸軍墓地規則」(陸軍省令第16号)「陸軍埋葬規則」の改正改正
  ・陸軍埋葬地→陸軍墓地
  ・分骨・分髪となった。
   ・・・各家が祖先の墳墓を有しており各々が其の地に葬られる習慣を重んじ、その分骨・分髪を陸軍墓地に合葬して公的な葬祭実施、栄誉が受けられる。
  ・個人墓標は公的団体的な参拝には必ずしも適切ではなくなってきた。
 *昭和16年7月19日 「陸軍墓地規則」(陸軍省令第28号)改正
  ・支那事変が長期化する中、戦没者の慰霊行事が数多く行われ、忠霊碑、週霊塔の建設が盛んになった。
   →全国の市町村に一基の忠霊塔建設運動が起きる。・・・内務省「支那事変に関する碑表建設の件」通達
  ・合葬墓塔を忠霊塔に置き換える
  ・個人墓、合葬墓、忠霊塔が敷地内に存在。一部納骨堂を兼ねる忠霊塔も存在。

Ⅴ 敗戦後の陸軍墓地
 *陸軍解体前の処置
  ・昭和20年8月28日 国有財産の一切を大蔵省に引き継ぐ
  ・昭和20年10月25日 陸軍墓地は厚生省に移管
 *昭和21年6月29日「旧軍用墓地の処理に関する件」(蔵国第726号)
  ・旧軍用墓地は道府県又は地元市町村に無償貸付する。
  ・維持管理、祭祀は市町村、宗教団体、遺族会等が行う。

Ⅵ 占領軍司令部による指示(明確な文書不明)
 *遺族会、個人が戦没将兵の為祭礼を行うことは自由だが過度の行事は軍国主義の宣伝になるから差控えよ。
 *忠霊塔の既存のものは当分の間、撤去破壊の要なし。但し、碑文に軍国主義的、超国家主義的字句のあるものは別。
 *学校生徒による忠霊塔用地の清掃は望ましからず、又新規の建設は禁止する。

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