陸軍墓地参拝記録
嶺南忠霊場(福井県)
所在地
 福井県敦賀市岡山2丁目 岡山公園

沿革
・ 歩兵第19聯隊は、明治19年に名古屋で編成し、同31年3月に敦賀市金山に転営した。 埋葬地(墓地)は隣接の沓見地区に設けられた。

・ 当時小浜線はなく不便な地域で、遺族からは、交通便利の地への移転を念願する声が強かった。敦賀駅から約2Kmの現在地が選定され昭和16年12月、落慶式j実施。(聯隊徴募地区が、嶺南の他に滋賀県、岐阜県と遠隔地が多かった) 

・ 忠霊塔の完成は昭和17年9月27日。
・ 忠霊塔の左方のやや低いところに、内地で病没された方々の碑。
・ 忠霊塔の右方、低い広場に沓見の墓地から移された3基の合葬碑。
 (明治卅七八年役戦病没合葬墓、上海事件陣没者合葬碑、満洲事変陣没者合葬碑)
・ 用地は、約2千坪。

*個人墓はない。(病歿者の合葬碑)

*写真は、参道である階段途中からの撮影である。 
・ 正面から忠霊塔を仰ぎつつ急な石段を40mほど登ると、正面に忠霊塔の建つ広場に出る。
・ 忠霊塔は諸元、様式共、嶺北のものと同様である。
・ 忠霊塔の入口正面から反対側、100m以上離れた中郷小学校校庭の街道沿いのところが参道入口だった。一対の灯篭が残っている。
・ 終戦迄に合祀された英霊は1万5千余柱に達したが、戦後、滋賀・岐阜の両県の護國神社に、両県出身の御遺骨は夫々に引き取られて、現在は嶺南地区出身の英霊6千765柱が祀られている。
*福井県の陸軍墓地
 福井県には、鯖江市に歩兵第36聯隊の鯖江陸軍墓地、敦賀市に歩兵第19聯隊・同第119聯隊の敦賀陸軍墓地があった。
 終戦の直後から夫々嶺北忠霊場、嶺南忠霊場となり現在に至っている。
 南北に約300Kmの海岸線を有する福井県は、滋賀県との県境が最も海岸側にせり出した稜線上の栃の木峠から北方の木の芽峠(北陸トンネルの北側出口近くの上)を通る稜線を境として北側を嶺北、南側を嶺南と呼ぶ。
*戦後の墓地確保・維持
・ 終戦後、敦賀に進駐した米軍が敦賀忠霊塔を爆破すると伝えられ、遺族代表の橋本五郎氏は県軍政部代表のハイランド中佐に中止を懇請し橋本氏個人の所有名義とすることで現状維持が認められた。
・ 昭和21年12月23日、敦賀忠霊塔の管理は敦賀市長から福井県遺族互助会に引き継がれて嶺南忠霊場と改名された。
・ 昭和50年には、敦賀市公園緑地法の適用を受け国庫補助も含め参道遊歩道の整備のほか美化工事も行われた。今では桜の名所にもなっている。
・ ハイランド中佐は、昭和23年に更迭されたが、昭和46年秋に敦賀を訪れた際に忠霊塔に参拝し、整備された霊場の姿に感慨無量と懐古された。
*祭礼
・ 列車の乗客は、忠霊塔下を通過する際、車掌の合図で英霊に黙祷を捧げた。

・ 終戦直後は遺族により折々に行われていた慰霊祭は、その後県の嶺南地区戦没者追悼式として、毎年8月、県の主催により嶺北地区と同等の出席者の下で行われるようになった。
・ 忠霊塔前を式場としていたが、広さが十分でないこと、急峻な階段の上であることも配慮され、現在は敦賀市民文化センターを式場に行われている。
【墓地全般】
【忠霊場参道:石段(中郷小学校裏】
【左写真の右奥:合葬3碑への賛同石段】
 【手水鉢:陸軍章】
【上写真の石段上の合葬碑:入口から見える】
 【旧参道入口:現中郷小学校:左右に一対の灯篭】
【校内に現存する石灯篭】
 【玉垣の代わりに砲弾型】
 
 【植樹記念:敦賀傷痍軍人会:昭和58年4月3日】
 【広い敷地:左の建物は平和祈念館、右に忠霊塔】
【道路標識】
【忠霊塔】
 【全景】
*昭和12年、支那事変の勃発と共に戦没者は激増し、昭和14年に「敦賀忠霊塔顕彰奉賛会」が設立され、合葬墓としての忠霊塔の建設が進められて昭和17年9月に「支那事変戦没者忠霊塔」が竣工した。
 これが現在の嶺北霊場「忠霊塔」である。

* 正面の台上に立つ忠霊塔は。建屋(台座)部分の間口約8・9m、奥行約9m、全高約19m(建屋部分は約4m)の大きな塔である。(嶺北と同等)

* 終戦までに合祀された英霊は、1万5千余柱に達したが、戦後、滋賀・岐阜の両県の護国神社に引き渡された。現在は嶺南地区の英霊6千765柱。

* 人口正面には小さいながら荘重な祭壇があり、霊記簿が納められているという。

【忠霊塔】
【題額】
 【裏面:支那事変戦歿者忠霊塔】
【忠霊塔広場】
 
 【岡山1丁目交差点から見た忠霊塔】
【塔から参道入口方向】
 
 【合祀碑】
 【合葬碑(病歿者)】 
【全景】
【題額:京都師団長 森岡 皐 謹書】
 【側面:昭和16年9月建立】
【右側面】
 
【合葬碑3碑の場】 
   
【明治卅七八年役戦病歿 将校下士兵卒墓】
【全景】
【題額】
 【後背】
【周囲に階級氏名刻印】
 
【上海事件陣歿者 合葬碑】
 【全景(嶺北と同様)】
【題額】
 
 【後背部・側面部:戦没者階級氏名刻印】
【側面】

* 昭和7年 12月 建立

* 陸軍中将 植田 謙吉 書
 【満州事変陣歿者 合葬碑】
 【全景】
【題額】
 
 【側面:右階段は忠霊塔へ】
【台座部分:陸軍徽章】

昭和12年5月 建立

陸軍中将 蓮沼 蕃 書
 
軍人墓地
   
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